国際占い師カズコが語る、添加物と波動の違いを感じる体験

添加物の国から、女神の波動へ帰る旅 

私が日本に一時帰国したのは、コロナ禍の最中でした。

約2年近くにわたり日本に滞在したその間、私ははっきりと波動の違いを体で感じることになったのです。

添加物と塩素水、そして体調の悪化

最初の1ヵ月ぐらいは懐かしい日本の味に、少し心が和みました。

しかしながら、コンビニやスーパーに溢れる惣菜、冷たいお弁当、加工された味つけ、パック詰めの野菜、甘いだけの果物、見た目は綺麗な野菜は、どこか空っぽで重たいエネルギーを感じました。

水までもが、どこか波動の低さを感じさせるものでした。

身体が重くなり、内臓が冷えて、病院に通っても原因不明の不調が続きました。

本来、癒しの場所であるはずの病院でも、さらに魂が閉じていくような感覚さえあったのです。

若くして、オーストラリアに10年以上住み、その後、結婚を機にギリシャ側のキプロスに移住し長く地中海気候で素朴な食材を使った料理を食べていたので、日本は私にとっては日本語は話せるが、環境も食材もすべて、異なる場所でした。

病気になる要素があることに気づいたので、色々な人に訴えたのですが、その時期は新型コロナの対応で誰も真剣に聞いて貰えず、病院に通うことが続きました。

私の魂と体は、このような物を拒絶していました。

塩と思われるが塩でない塩、グラニュー糖、小麦粉、乳製品、油、Vチン、電磁波、化学物質、美白を意識されすぎてビタミンD不足、避けて来た薬等は本当に免疫がない体になっていたので、水さえも水道水は信用できず、ペットボトルの水を飲んでいました。

特に、アレルギー体質の私にとっては、添加物、油、パンや麺類は必要以上に食べると体の至るところが痒くなります。

キプロス産のオリーブオイルとオーガニックのレモンを利用した食事を作って来ていたので、デパートの見た目は美味しい弁当でしたが、食べた後に気分が悪くなることもありました。

病院のお医者さんには、「何を食べても味がおかしく感じるのですが?」と訊ねると、「味覚障害か、更年期障害でしょうね。漢方を出しておきますね。」ということでした。

本当にその判断が正しかったのでしょうか?

キプロスに帰る予定で、主人と話していた次の日には、蕁麻疹になりました。

私が拒んだ薬を薬剤師の方も再度、お医者さんに確認して貰っていましたが、週末だということで、「それで大丈夫です」ということで、飲んだ次の日に身体中に蕁麻疹が出てびっくりでした。

皮膚科の先生に尋ねるとはっきりとは言いませんでしたが、「薬疹でしょうかね?」と言われたぐらいです。

身体は正直だと実感しました。

なかなか治らない蕁麻疹で、初めて打たれた大きな注射で気持ちが悪くなりました。

次のときに、そのことを訴えると異なる注射をしてくれました。

痒い場所が日によって変わるのですが、痒くて、痒くて、なかなか治らず、良くなって来たかと思うと、風邪を引いたりして、また、日本で年を越すのかと思いつつ、やっぱり、キプロスでのクリスマスが良いと思い、帰ることを決めました。

その後、キプロスに戻りましたが、すぐに体調が戻ったわけではありません。

「波動の記憶」が身体に残っていたのです。

1万年の歴史の島国のリズムに身体を合わせる

キプロスには、日本のようなコンビニ食、惣菜や出来合いの弁当はありません。

近所にあったケーキ屋さんもパフォスから撤退してしまいました。

エクレアやチーズケーキが好きだったのですが、それも食べれないので、「自分で作る」という選択しかないという生活は、キプロスに移住したときの状態に戻ってしまいました。

初心に戻ることで、どこか安心感が湧いて来ました。

毎日、オリーブオイルを使って、時間をかけて野菜を煮込んだ料理は温かい気持ちになりました。

お金を出せば美味しいシュークリームではありませんが、キプロス産のはちみつとローヤルゼリーで幸福感を味わえるようになりました。

そして、ご飯は、昆布を入れて炊くことは、まるで祖母が行っていた祈りのような食事を自分の手で整えるようにしました。

そうすると、ふっと魂が軽くなる瞬間がやってきました。

心がすっと透きとおり、身体に静かな活力が戻って来ました。

食はエネルギーの宝地図

何を食べるかは、単なる栄養ではありません。

• どの土地で育ったか

• 誰の手を通ったか

• どんな意識が込められているか

それらすべてが、私たちの波動を形作るのです。

キプロスの風、太陽、土・・・。

それらと調和して生きることで、私の魂は再び、本来のリズムを思い出し始めたのです。

日本の食と水に違和感を覚えたこと、それはただの不調ではありません。

日本で病気になったことも意味があるギフトだと思いました。

意識を変えるチャンスであり、病気になった原因を探し、追求しました。

生き方を見直すために、病気になることがあります。

何でも自分で体感するため、この経験は他の人に役に立つために病気になったことでしょう。

あなたがもしも、今、体調が悪かったり、病気になっているのであれば、きっと、あなたの魂が、「もう目覚めなさい」とサインを送っていると思って下さい。

そして、世界のどこにいても、本来の波動に戻る食を選ぶことで、私たちは必ず、本来の自分に帰ることができます。

やっと、ここ最近、真実を伝える人が増えて来ました。

食べる物で、思考までも変わっていきます。

大事なのは、マスメディアや有名なお医者さんの言葉ではなく、真実は私たちの魂の記録で判断するのが良いでしょう。

もしも、体調が悪い人は、良質なお米と梅干だけで数日過ごして見て下さい。

出来れば、ご飯は土鍋で焚くのが良いですが、身体を浄化させると良いでしょう。

良質の昆布も入れると良いでしょう。

神饌(お供えもの)を意識した食材を食べていれば、日本人は健康でいられることでしょう。

また、そのお話は次回に致します。

 

国際占い師カズコが語る、オーストラリアの肉食生活とその影響

波動を失った肉食の暮らし

オーストラリアで気づいた食の違和感

日本を離れ、私が最初に暮らした海外の国はオーストラリアのシドニーでした。

美しい大自然、青く広がる空、ユーカリの木、芝生の香り、明るく陽気でイージーゴーイングな人々。

そんな自然の環境とは裏腹に、私は内側で静かに違和感を感じはじめていたのです。

肉中心の食生活に、身体が沈んでいった

オーストラリアでは、食卓に肉が当たり前に並んでいました。

バーベキュー、ステーキ、ハンバーガー…。

最初は「郷に入れば郷に従え」と、なるべく合わせてみました。

当時の日本円の為替は1ドル270円でしたので、日本食店で軽くご飯を食べても3000円以上でした。ラーメン屋で地元で食べていたラーメンが320円ぐらいでしたが、シドニーでは3000円以上でした。

どうやっても肉ばかりの食事で、食べた後、妙な重さが身体に残っていました。

眠くなり、気分が落ち、何より自分ではない何かに支配されるような、あの感覚と体重が増えて行き、思春期でさえもニキビが出なかった肌でしたが、ぽつりと出始めたときには驚きました。

最初は疲れや気候のせいかと思っていました。

でも気づけば、毎日のように自分が濁っていくような感覚に襲われていました。

 「美味しさ」の裏側にあるもの

オーストラリアの肉は、質が良いとも言われます。

けれどどんなに調理法が丁寧でも、エネルギーのレベルでは、命を絶った波動が残っているのです。

特に大量に加工されたソーセージやハムは、食べている間は絶妙な味がしましたが、霊性を鈍らせる重さを感じていました。

そうはいっても、高い日本食を食べる機会は限られていました。

でも、やはり日本食が食べたいという気持ちが強くなったので、あまり日本食店がなかった時代にご縁があり、ウェトレスとして賄い付きの日本食店で働き始めました。

私のように感受性が強い魂にとっては、選択肢がないままでは、自分の能力にもやがかかっていくことの方が悲しく感じました。

幸い、日本食店で働いたことで、お客さんの単身赴任で毎晩のように食事をして行かれた方から週に一度、家の清掃と夕食を作って欲しいという提案があったので、アルバイトさせて頂けることになり、自炊できる喜びを感じました。

自分で作ることで「違う」と気づいたとき、波動が戻りはじめた

ある日から、野菜とお米中心の食事の日本食に戻し始めると、驚くほど身体が軽く、心が晴れていくのを感じたのです。

肉食を食べていたときの気持ち悪さが薄れて行き、気持ちが軽くなり、周りの人達の本当の波動が感じられるようになり、自分の中にあった心の声も戻りました。

やはり、人間の身体は食べる物で魂までも異なることを理解出来ました。

何を取り入れるかで、見える世界が変わることを体感出来ました。

いい意味で、オーストラリアでの肉食の重さとは、何かを学ぶことが出来ました。

ファームステイ ダンとウォンバット

オーストラリアの生活は学生時代からニューエイジ店を開くことなども体験することができ、何よりも、この経験は、私にとって魂が真の周波数を思い出すための通過点だったのかもしれません。

私たちは、何を食べるかで、誰とつながり、どの波動にアクセスするかが決まるということを思い出してくれたのです。

次の章では、新型コロナで外出もままらないときに、日本に行き、女神アフロディーテが生まれたキプロスに帰って、そこに流れる波動についてお話しします。

国際占い師カズコが語る、学校給食の影響と波動の違和感

学校給食と波動の分断

不気味な肉の筋、不味いパン、飲み込むしかなかった。

幼い頃の食卓は、神々とつながる祈りの空間でした。

しかし、小学校に上がると同時に、その日々は突然終わりを告げました。

それが、「給食」という制度の中での体験です。

肉の筋が飲み込めなかった日

ある日の給食で、固くて嚙みきれない肉の筋が出されました。

味もにおいも、なにより波動が合わない。

けれど、「残してはいけない」というルールがあり、クラス全体の前で食べきるまで席を立てませんでした。

班という仕組みの中で、私ひとりが食べない子にならないように、無理やり飲み込むしかなかったのです。 

不味いパンと、冷たい牛乳と、マーガリン

パンは白くて、ふわふわなのに生命力がなく、牛乳は身体の奥で拒絶するような冷たさがありました。

マーガリンのにおいは、今でも記憶の中にこびりついています。

本当は食べたくなかった。

でも、先生には「好き嫌いをするのは悪いことだ」と言われました。

そこには、食への祈りも、個の感覚も存在しない世界が広がっていました。

連帯責任と言葉で食べさせれる辛い日が小中学生の9年続きました。

 

波動を無視された共食の強制

学校の給食は、確かに栄養的には整えられていたかもしれません。

けれど、食べることが義務やルールに変わった瞬間、そこから「神聖さ」や「良い波動」は消えてしまったのです。

私は、本来それぞれが持っている身体の声や魂の感覚を、この時期から少しずつ無視するようになってしまいました。

それは、身体の声を封印することで、魂の自由を縛る教育だったと、今でもはっきり感じます。

それは、魂に刻まれた小さなトラウマだった

あの肉の筋を飲み込んだ瞬間、私は自分の内なる声を封印したのです。

「これは食べたくない」

「身体が拒否している」

「でも、食べなければいけない」

この葛藤が、霊的感受性に薄い膜のようなブロックを作っていきました。

食べ物のエネルギーを感じる力。

波動の違いを受け取る感性。

選びとる自由という直感。

すべてが、その時から遠のいていったのです。

今、多くの人が感じている生きづらさや身体の重さは、こうした小さな経験の積み重ねから生まれているのかもしれません。

もし、あなたにも似たような記憶があるなら、それはあなただけのせいではありません。

あなたの魂が感じていた違和感は、真実だったのです。

次回は、「波動を失ったオーストラリアでの食事」についてお話していきます。

 

国際占い師カズコが語る、身魂を磨くための食と意識の神聖な旅路 PART1

こんにちは。

いつもありがとうございます。

ありがとうございます。

ここ最近、小中学生の同窓会の案内が故郷の旧友からメールが届き、何度かメールでやり取りしていましたが、LINEで繋がりました。

それほど、仲良かったイメージがなかったのですが、その旧友は私の家に行ったときに、「うどんを作るから食べようね」と言ったということを今でも覚えていると言っていました。

5歳ぐらいから料理をし始めたということは何となく記憶にありますが、その彼女が我が家に来て、私がうどんを作ったという記憶がなかったので、驚きました。

小学生の4年生ぐらいだったようです。

うどんも粉からこねて、出汁も鰹節から取って、茹でて食べたそうです。

彼女のお母さんが共働き家庭だったそうで、家で作って食べた記憶があまりなかったから、その行動が新鮮で驚いたと言っていました。

その話しの流れから、色々な食べ物の話しになり、コロナ禍のときに、日本に居た時の話しになり、去年から日本ではお米の高騰が続いている話しになり、その話しは陰謀論的な話題になるので、また、今回の食のお話の次に綴って行きたいと思います。

もう、時期が来たと思うから、旧友なのに、思い切り、同じ思考と同じ嗜好で驚きました。

人生には偶然はなく、必然なので、彼女と話したことにより、私が体感したことを綴って行きたいと思います。

最終的には電子書籍にする予定ではいます。(未定、体力次第)

では、前置きが長くなりましたが、よろしくお願い致します。

ありがとうございます。

明治生まれの祖母の台所に流れていた祈りの波動 

幼い頃、私は「食べる」ということに、どこか神聖な感覚を抱いていました。

特に、祖母と一緒にいた場所や時間は、

まるで小さな神社のような空間に守られていたかのようでした。

祖母は母方のウメヨと言いますが、明治の終わり頃に生まれています。

とても小柄ですが、普段から着物を着ている姿が不思議でした。

ときどき、祖母の家にお泊りに行くと、静かな朝の台所に漂う炊き立てのご飯の香りで目覚めが良く、くつくつと音を立て、味噌汁の湯気が、まるで神気のように揺らめいていました。

そのすべてが、私の魂の深い部分に刻まれているのです。

食卓は、小さな「神事」だった

祖母は、決して「これは神道の教えだよ」とは言いませんでした。

けれどその所作のすべてに、自然と神々への祈りと感謝が流れていました。

例えば、

• 野菜のヘタを落とすとき、「いただきます」と手を合わせる

• 米を研ぐとき、水に話しかけるように静かに洗う

• 食べるときにはテレビを消し、手を合わせて心を整える

それは私にとって、「食べる」という行為がただの栄養摂取ではなく、

「魂を調律する神聖な時間」であることを、自然に教えてくれたのです。

神々とつながる「氣」の感覚

祖母の味噌汁は、今思えば何かが違っていました。

それは材料や分量ではなく、「氣」そのものでした

野菜作りが好きだった家の畑は童話に出て来る四季が変わる事に異なる虫たちが鳴いたり、ゆらゆらと飛んでいたり本当に子供ながらに週末になるのを心待ちにしていました。土曜日に学校を終えると祖母の家に行くのが定番でした。

そんな、祖母は自分で育てた野菜を畑から持って来て、包丁で野菜を切り、土鍋でゆっくり煮るとき、そこには「手から流れるエネルギー」が注がれていたように見えました。

私はそれを、子どもながらに知っていました。

そして今になってはっきりと言えるのです。

神道の食とは、「氣」と「祈り」でつくられた波動の食事だったということです。

 

季節と共に巡る、霊的な調和

春にはキャベツ、筍、夏にはきゅうりやトマトやすいか、秋にはきのこや柿、冬には大根やみかん。

祖母はいつも「季節のものを食べると、身体が喜ぶ」と言っていました。

暦を見ながら、自分でお灸をすえていたりしたので、これは単なる健康知識ではなく、宇宙のリズムとの一致を意味していたのでしょう。

神道では、自然はそのまま神の姿です。

風も、水も、太陽も、すべてが神の働きであり、

そのめぐりと共鳴する食事こそが、魂を整える「日々の祈り」だったのです。

子どもの魂は、本物の波動を知っている

祖母の食事を食べると、自然に呼吸が深くなり、安心し、笑顔が出ました。

今思えば、それは「エネルギーの調和」が身体の内と外に起こっていたからでしょう。

幼い子どもは、言葉よりもエネルギーに敏感です。

だからこそ、食の波動が本物かどうかを直感で見抜くのです。

その後の人生で、私は何度も、「何かおかしい」「これを食べると元気がなくなる」といった感覚を味わいました。

けれど、その基準となったのは、あの祖母の祈りに満ちた食卓でした。

食卓という小さな宇宙には、神々とつながるための扉が、確かに開かれていました。

それは私にとっての原点。

そして、これから多くの人が思い出すべき「魂の帰る場所」だと信じています。

次は、その祈りのリズムを狂わせた「給食」という経験についてお話しします。