国際占い師カズコが語る、身魂を磨くための食と意識の神聖な旅路 PART1

こんにちは。

いつもありがとうございます。

ありがとうございます。

ここ最近、小中学生の同窓会の案内が故郷の旧友からメールが届き、何度かメールでやり取りしていましたが、LINEで繋がりました。

それほど、仲良かったイメージがなかったのですが、その旧友は私の家に行ったときに、「うどんを作るから食べようね」と言ったということを今でも覚えていると言っていました。

5歳ぐらいから料理をし始めたということは何となく記憶にありますが、その彼女が我が家に来て、私がうどんを作ったという記憶がなかったので、驚きました。

小学生の4年生ぐらいだったようです。

うどんも粉からこねて、出汁も鰹節から取って、茹でて食べたそうです。

彼女のお母さんが共働き家庭だったそうで、家で作って食べた記憶があまりなかったから、その行動が新鮮で驚いたと言っていました。

その話しの流れから、色々な食べ物の話しになり、コロナ禍のときに、日本に居た時の話しになり、去年から日本ではお米の高騰が続いている話しになり、その話しは陰謀論的な話題になるので、また、今回の食のお話の次に綴って行きたいと思います。

もう、時期が来たと思うから、旧友なのに、思い切り、同じ思考と同じ嗜好で驚きました。

人生には偶然はなく、必然なので、彼女と話したことにより、私が体感したことを綴って行きたいと思います。

最終的には電子書籍にする予定ではいます。(未定、体力次第)

では、前置きが長くなりましたが、よろしくお願い致します。

ありがとうございます。

明治生まれの祖母の台所に流れていた祈りの波動 

幼い頃、私は「食べる」ということに、どこか神聖な感覚を抱いていました。

特に、祖母と一緒にいた場所や時間は、

まるで小さな神社のような空間に守られていたかのようでした。

祖母は母方のウメヨと言いますが、明治の終わり頃に生まれています。

とても小柄ですが、普段から着物を着ている姿が不思議でした。

ときどき、祖母の家にお泊りに行くと、静かな朝の台所に漂う炊き立てのご飯の香りで目覚めが良く、くつくつと音を立て、味噌汁の湯気が、まるで神気のように揺らめいていました。

そのすべてが、私の魂の深い部分に刻まれているのです。

食卓は、小さな「神事」だった

祖母は、決して「これは神道の教えだよ」とは言いませんでした。

けれどその所作のすべてに、自然と神々への祈りと感謝が流れていました。

例えば、

• 野菜のヘタを落とすとき、「いただきます」と手を合わせる

• 米を研ぐとき、水に話しかけるように静かに洗う

• 食べるときにはテレビを消し、手を合わせて心を整える

それは私にとって、「食べる」という行為がただの栄養摂取ではなく、

「魂を調律する神聖な時間」であることを、自然に教えてくれたのです。

神々とつながる「氣」の感覚

祖母の味噌汁は、今思えば何かが違っていました。

それは材料や分量ではなく、「氣」そのものでした

野菜作りが好きだった家の畑は童話に出て来る四季が変わる事に異なる虫たちが鳴いたり、ゆらゆらと飛んでいたり本当に子供ながらに週末になるのを心待ちにしていました。土曜日に学校を終えると祖母の家に行くのが定番でした。

そんな、祖母は自分で育てた野菜を畑から持って来て、包丁で野菜を切り、土鍋でゆっくり煮るとき、そこには「手から流れるエネルギー」が注がれていたように見えました。

私はそれを、子どもながらに知っていました。

そして今になってはっきりと言えるのです。

神道の食とは、「氣」と「祈り」でつくられた波動の食事だったということです。

 

季節と共に巡る、霊的な調和

春にはキャベツ、筍、夏にはきゅうりやトマトやすいか、秋にはきのこや柿、冬には大根やみかん。

祖母はいつも「季節のものを食べると、身体が喜ぶ」と言っていました。

暦を見ながら、自分でお灸をすえていたりしたので、これは単なる健康知識ではなく、宇宙のリズムとの一致を意味していたのでしょう。

神道では、自然はそのまま神の姿です。

風も、水も、太陽も、すべてが神の働きであり、

そのめぐりと共鳴する食事こそが、魂を整える「日々の祈り」だったのです。

子どもの魂は、本物の波動を知っている

祖母の食事を食べると、自然に呼吸が深くなり、安心し、笑顔が出ました。

今思えば、それは「エネルギーの調和」が身体の内と外に起こっていたからでしょう。

幼い子どもは、言葉よりもエネルギーに敏感です。

だからこそ、食の波動が本物かどうかを直感で見抜くのです。

その後の人生で、私は何度も、「何かおかしい」「これを食べると元気がなくなる」といった感覚を味わいました。

けれど、その基準となったのは、あの祖母の祈りに満ちた食卓でした。

食卓という小さな宇宙には、神々とつながるための扉が、確かに開かれていました。

それは私にとっての原点。

そして、これから多くの人が思い出すべき「魂の帰る場所」だと信じています。

次は、その祈りのリズムを狂わせた「給食」という経験についてお話しします。

 

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