歴史は繰り返す、だが道は一つではない:アブラハムの血脈が呼びかける平和への鍵

私は、イスラエルの隣国、キプロス共和国に住み始めて20年以上が経つ。

地中海の東端に浮かぶこの島は、古来より文明の十字路であり、同時に戦火の火種を見守る「監視者」の役割を果たしてきた。
※一説によれば、1万年の歴史、数百年に一度、侵略されています。

GPSやスマホ等を利用しているので、あまり、強く偏った内容を書くと削除される可能性があるので、ブログに綴ります。

攻撃が始まる前日に、SNSで日本にいるある友人とチャットしていた。


最後に、「赤い牛」と「イラン」の話しをした次の日には、そのSNSがフリーズしてしまって焦った。(2月27日)

※「赤い牛」と終末論のリアリティ
ユダヤ教のエスハトロジー(終末論)において極めて重要な意味を持ちます。エルサレムの第三神殿建設のための儀式に必要な「汚れのない赤い雌牛」の出現は、一部の信仰者にとっては、時代の転換点(あるいは終末の始まり)を示す決定的なサインです。

監視社会なので、今の現状を伝えることは控えますが、歴史から紐解いていきます。

中東・インド・ペルシャが織りなす宿命の系譜

「歴史は繰り返す」という言葉は、単なる格言ではない。それは、数千年にわたって積み重ねられた宗教的情念と地政学的野心が、一定の周期を経て臨界点に達することを指す。

2026年2月28日。イスラエルとアメリカによる大規模な軍事攻撃が開始された。

この衝撃的な事態を、単なる突発的な紛争として片付けることはできない。この衝突の背景には、アブラハムの時代から続く兄弟の相克、ペルシャの地に眠る救世主思想、そしてインドという巨大な極の台頭が複雑に絡み合っている。現代の国際情勢を理解するためには、我々はイスラム教という枠組みを超え、ユダヤ教、キリスト教、さらには古代ペルシャやインドの宗教思想まで視野を広げ、その「根源」を辿らなければならない。

中東で誕生した三つの宗教――ユダヤ教、キリスト教、イスラム教――は、互いに断絶した存在ではない。これらは同じ根を持ち、同じ神を仰ぐ「兄弟宗教」である。その共通の祖こそが、旧約聖書に登場する預言者アブラハムである。

アブラハムには、歴史の運命を分かつ二人の息子がいた。一人は正妻サラとの間に生まれたイサク、もう一人は側室ハガルとの間に生まれたイシュマエルである。聖書の伝承によれば、イサクの子孫はイスラエル民族(ユダヤ人)となり、イシュマエルの子孫はアラブ人の祖となった。

この神話的系譜が示す事実は重い。現在、激しく対立しているユダヤ人とアラブ人は、本来は同じ祖先を持つ「兄弟民族」なのだ。

最初に成立したユダヤ教は、唯一神ヤハウェとの「契約」と「律法」を核とした。この伝統の中から、イエス・キリストが登場する。イエス自身もユダヤ人であり、ユダヤ教の文脈の中で活動したが、彼を救世主(メシア)と信じる者たちがキリスト教を形成し、ローマ帝国を通じて世界宗教へと変貌を遂げた。

そして7世紀、アラビア半島に預言者ムハンマドが現れ、イスラム教を創始した。イスラム教の特筆すべき点は、先行する二つの宗教を否定せず、むしろ「同じ神からの啓示を受けた兄弟」として認めている点にある。

彼らは「啓典の民」と呼ばれ、イスラムの法の下でも特別な地位を与えられた。イエスもまた、イスラム教においては偉大な預言者の一人として尊崇されている。

しかし、この「近さ」こそが、皮肉にも数千年にわたる愛憎と対立の火種となってきたのである。

イスラム教の内部には、スンニ派とシーア派という巨大な亀裂が存在する。この対立は、ムハンマド亡き後の後継者(カリフ)を巡る政治争いから始まった。共同体の合意を重視するスンニ派に対し、ムハンマドの血縁であるアリーの家系こそが正統であると主張したのがシーア派である。

現在、イランをその中心に据えるシーア派の思想には、イスラム以前の古代ペルシャの影が色濃く反映されている。かつてこの地を支配したゾロアスター教は、世界を「善と悪の戦い」と捉え、終末に救世主が現れて世界を浄化するという鮮烈な終末論を持っていた。

この思想は、シーア派における「マフディ(隠れイマーム)」信仰と深く共鳴している。マフディとは、終末の時代に現れて正義を回復する救済者である。イランが国際社会において妥協を許さない強硬な姿勢を見せる背景には、こうした古代から続く「善悪の戦い」と「救世主による正義の実現」という宗教的・精神的伝統が横たわっているのだ。

イランとインドの宗教文化にも驚くべき共通点が見出される。古代イラン人と古代インド人は、共通の祖先を持つアーリア系民族であった。彼らの言語や神話には、分かちがたい兄弟関係の痕跡が残っている。

古代インドでは、バラモン教からヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教が生まれ、輪廻転生やカルマ(業)といった内省的な哲学が発展した。一方で、イランへと向かった一派はゾロアスター教を生み出し、外的な悪との戦いや終末思想を強調する方向へと進んだ。

同じ根を持ちながら、一方は「内なる解脱」を求め、一方は「歴史の中の正義」を求めた。この分岐が、現在の中東と南アジアの文化的・政治的景観を形作っているのである。

紀元前1500年・イランのブロンズ


現代の国際情勢を解読する上で、「イラン・イスラエル・インド」という三つの国家は、単なる地域大国を超えた、世界の運命を左右する地政学的な「極」として君臨している。

これら三カ国は、宗教、エネルギー、安全保障、そして大国間の覇権争いが複雑に交差する結節点に位置しており、その動向は中東のみならず、地球規模の勢力図を塗り替える力を持っている。


イランは中東において、極めて特異かつ強固なアイデンティティを持つ国家である。

多くの中東諸国がアラブ民族であるのに対し、イランは誇り高きペルシャ系の国家であり、その言語も文化もアラブ世界とは一線を画す。宗教的にも、イスラム教徒の約九割を占めるスンニ派に対し、イランはシーア派の総本山として君臨している。

この宗派の相違は、単なる教義の論争ではない。イランはイラク、シリア、レバノンのヒズボラ、さらにはイエメンのフーシ派に至るまで、シーア派のネットワークを構築し、「シーア派の弧」と呼ばれる巨大な影響力圏を形成している。

これはサウジアラビアをはじめとするスンニ派諸国にとっての脅威であると同時に、欧米諸国にとっても無視し得ない政治構造となっている。

さらに、イランは世界有数の石油・天然ガス埋蔵量を誇る資源大国であり、世界の石油輸送の急所であるホルムズ海峡をその手中に収めている。この海峡の封鎖は世界経済の心停止を意味する。

加えて、長年にわたる核開発問題は、中東の軍事バランスを根底から覆す可能性を秘めており、国際社会が最も注視する火種となっているのである。

イスラエルは、広大なイスラム世界の中に孤立する、唯一のユダヤ国家である。一九四八年の建国以来、周囲を敵対的な環境に囲まれながらも、幾多の戦争を勝ち抜き、世界屈指の軍事力と高度なテクノロジーを持つ国家へと変貌を遂げた。

イスラエルの地政学的重みは、アメリカとの鉄の同盟関係によってさらに増幅されている。アメリカにとってイスラエルは中東における最大の民主主義のパートナーであり、戦略的拠点である。しかし、近年の最大の懸念はイランとの対立である。イランはイスラエルの存在そのものを否定し、イスラエルはイランの核保有を「生存に対する究極の脅威」と見なしている。

両国の間では、すでにサイバー空間、諜報活動、代理勢力を通じた「影の戦争」が激化しており、この緊張が臨界点を超えたとき、中東全域を巻き込む大戦へと発展する危険性を常に孕んでいる。

そして、この地政学的なパズルを完成させる三つ目のピースがインドである。地理的には南アジアに位置するが、今や世界最大の人口を抱え、急速な経済成長を遂げるインドは、二十一世紀の国際政治における「キャスティングボード」を握っている。

インドが重要視される最大の理由は、米中対立という大国間競争におけるその立ち位置にある。ヒマラヤ山脈を挟んで中国と国境紛争を抱えるインドは、中国の海洋進出を抑止するための「インド太平洋戦略」の要である。

アメリカ、日本、オーストラリアとの連携(QUAD)を強める一方で、伝統的にロシアやイランとも独自の外交ルートを維持するインドの「戦略的自律」は、世界のパワーバランスを調整する役割を果たしている。

また、核保有国であるパキスタンとの長年の対立は、南アジアの安全保障を常に緊張状態に置いている。パキスタンが中国と親密な関係にある以上、インドの動向は必然的に東アジア、そして中東の情勢と密接にリンクせざるを得ないのである。

このように俯瞰してみれば、イラン、イスラエル、インドという三つの国は、それぞれが異なる地域にありながら、エネルギー、安全保障、宗教的対立、そして核という目に見えない糸で固く結ばれていることがわかる。

中東の政治問題は、単なる国境線の争いではない。それはアブラハムの時代から続く宗教的アイデンティティの衝突であり、古代ペルシャから受け継がれた救世主思想の具現化であり、そして台頭するアジアの大国による新たな秩序形成のプロセスなのである。

現代の国際情勢を理解するためには、個々の事象を断片的に見るのではなく、数千年にわたる歴史の地層と、地理的条件がもたらす必然性を総合的に洞察しなければならない。

2026年2月28日。

イスラエルとアメリカによる軍事攻撃の開始。それは、歴史が繰り返してきた「対立の循環」の最新の、そして最も激しい発露であった。

我々は今、歴史の教訓を再確認しなければならない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの兄弟宗教の相克、そしてイランやインドに流れる古代文明の血脈。

これらを知ることなしに、我々が直面している危機の正体を見極めることはできない。

歴史は繰り返す。

しかし、その繰り返しの中にこそ、我々が未来を切り拓くための唯一の鍵が隠されているのである。


2028年3月2日の時点でキプロスのイギリス軍事施設を狙ってドローン攻撃があったので、テレビではかなりのパニック状態でした。(私はテレビを見ないので、夫マイケルがパニックに)

次の日に、パフォスの海岸通りをウォーキングしているとアメリカ人が多くいました。

普通にカフェでビール飲んでいる感じで、緊張した逃げないといけないという感じでした。

日本から、多くの人達から、「大丈夫?」とメッセージもありました。

空港を閉鎖されていた時点では国外退去は出来ないので、「様子見」するかないと思いました。

普段利用するドバイ国際空港も被害があった様子ですが、まず、日本に移動するには、この島から飛行機か船しか選択がないのです。

今のところは、落ち着いているのかどうか分かりません。

3月6日時点、今日も普通に買い物に出かけました。

何事もない事を願っています。

あなたにも何かの「気づき」があることを願っています。

ありがとうございます。

のどかなパフォスの海岸通り

(注意)こちらのブログ記事を投稿したところ、やはり、「監視」されているようです。

自動に削除されるか、反映されない可能性もあります。

原爆とともに刻まれた記憶

セミがみーんみーんと鳴いている暑い夏の日。

カレンダーが8月に変わると、私の脳内には、ある歌が自然と響いてくることがあります。

それは、義務教育の9年間、夏休み中にも学校へ行き、子どもたちがその歌を合唱するという行事の記憶です。

毎年、2つの歌を歌っていましたが、そのうちの1曲には、幼い心に強烈な印象を与えるような、怨念を感じる歌詞が含まれており、幼稚園から小学生になったばかりの子どもには重すぎて、ショックを受けた子も多かったのではないかと思います。

忘れられない思い出があります。

それは、小学一年生のときの映画鑑賞の日のことです。

その日の給食は、筋が硬い豚肉の細切れで作った焼きそばに、パンと牛乳という献立でした。

その時点で体調があまりよくなかったこともあり、給食を口にしたときに気分が悪くなってしまい、「一度家に帰りたい」と本気で思うほどでした。

当時は、学校から徒歩ですぐの距離に住んでいたため、余計に「帰りたい」という気持ちが募りましたが、ムカムカする気分を水道水でなんとか落ち着かせて、5時間目を迎えました。

その後、私たちは体育館へ誘導され、生ぬるい空気の中で、実写版『はだしのゲン』の映画を鑑賞することになりました。

ゲンの父親役は三國連太郎さんで、「非国民」と呼ばれる場面が多く、空襲警報のサイレン音が耳をつんざくような大音量で鳴り響いており、すでに私は気分の悪さを必死で我慢していました。

投下後、被曝した若い男性の役として冲雅也さんが登場し、包帯に包まれた顔を解いていくシーンが映し出されたとき、私の胃もついに限界に達しました。

顔は蛆虫に覆われ、原形をとどめていないほどに崩れた状態で、私は思わずハンカチを取り出して「ゲェ〜」と吐いてしまいました。

幸いにも上映の終わり頃だったため、ハンカチで包んで、なんとか持ち帰ることができました。

もしナイロン袋があれば、もう少し楽だったかもしれません。

遠足の日には、みんなが数百円分のお菓子を見せ合いながら、「帰りのバスで食べようね」と話していました。

私の母は、遠足や学校行事があるたびに、いなり寿司と巻き寿司、そして大きなエビフライを必ず作ってくれました。

他の子どもたちのお弁当とは違って、私のお弁当は笹の葉に包まれていたりして、開けた瞬間に「えっ⁉」と驚かれることもありました。

それも、まるで3人分のような量があり、クラスの男の子に手伝ってもらいながら、なんとか食べきった記憶があります。

そのお弁当を食べる前、私たちは原爆資料館を訪れました。

現在の資料館は新しく、明るくモダンな空間へと生まれ変わっていますが、当時は古くて暗く、まるでお化け屋敷のように感じました。

本当に夢に出てきそうな、恐ろしい場所だったのです。

焼けただれた身体のマネキンがどろどろと並び、映画で見た映像よりもはるかに生々しく、まるで地獄絵図のようなシーンが次々と目に飛び込んできました。

目をそらしたくても自然と視界に入り、耳の奥で「助けて」という叫び声が響いてくるような演出もありました。

今でも、当時の映像や空気をはっきりと思い出せるほど、強烈な印象が残っています。

広島に投下された原子爆弾により、一瞬で命を失った多くの人々。

今年で、戦後80年を迎えます。

私が初めてオーストラリアに渡った際、「どこから来たの?」と尋ねられたことがありましたが、オーストラリアではあまり深く話題になることはありませんでした。

しかし、キプロスに来てからは、「広島出身です」と答えると、すぐに原爆の話題になります。

いまだに、それほど強く、広島の出来事が世界の人々の記憶に刻まれているのだと実感します。

私は瀬戸内海の尾道出身ですが、家族の話によると、三原市や福山市には爆弾が落とされたものの、尾道には京都の本願寺との関係があったため、一発も落とされなかったと伝えられています。

暑い中、登校して先生の話を聞き、みんなで合唱した歌の記憶が残っています。

この歌は讃美歌のような雰囲気で、メロディも穏やかで歌いやすかった記憶があります。

この歌は重々しい旋律とともに、深い哀しみと怒りが込められていたように思います。

その後、私はユダヤ人虐殺の地を訪れたこともありますが、広島の原爆資料に触れたときには、もっと直接的で強烈な「怨念」を感じました。

当時は、広島市へ行くよりも、岡山県の倉敷市のほうが気軽に訪れる場所だったと記憶しています。

しかし最近では、広島市全体がとても心地よい空気に包まれており、その「波動」が良い方向へと変わったのだと感じています。

それでも、私たちの世代以降、この体験や想いをどれだけ伝え続けることができるのか、不安も感じます。

戦後80年が経過した今でも、世界では争いが絶えません。