受けやすい体質の方へ

83.9:350:160:0:0:bazaar3:center:1:1:女神の生まれた国より  ^-^ ありがとうございます。 :
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
最近、メールを頂く方のほとんどの方がこの感謝修行を重ねているいらっしゃるようで、感謝の言葉「ありがとうございます」「いつもありがとうございます」を頻繁にお使いになって頂いていることは大変素晴らしいことです。
ありがとうございます。
さて、今まで私が出会った人で霊媒体質の方の特徴はこの世で苦労を重ねている人が多く、この世での天命や使命を全うしていくことのたいへんさを実感させられました。
人によっては寝込む人もいらっしゃるでしょう。私も今は明るい霊能者として生活しておりますが、幼少時代は寝込むことが多々ありました。
あの世に帰れないでこの世とあの世の境目をうろうろしている未浄化霊達にとっては霊媒体質の人間を見つけると縋る気持ちで一緒に行動しています。
人それぞれに過去世が違いますから、霊媒体質の人もいれば、そうでない人もいます。霊媒体質も含めて「受けやすい体質」の人は、何事においても顕れの速度が速いですから、慎重に、安全な行法を選択することが必要でしょう。
肉体を纏っている以上どんな人でも業がある訳ですから、謙虚に謙虚に守護神、守護霊に感謝してお導き頂くという心で良い行法を選択する方が良いでしょう。
いつも書いておりますが、高級霊だと思いコンタクトを取っている間に肉体も魂までも憑依されてしまい、廃人になってしまう霊媒体質の人もいます。
人にスピリチュアリズムや精神世界などをお伝えする際には、天命として全責任を取るぐらいの覚悟が必要だと思います。
私たち人間は茨の道を通ることよりも、真っ直ぐな平坦な道を通りたいと願う人の方が多いと思います。そういったスムーズな道を通りたいと願う人はどうにかして「神霊」に直ぐに繋がりたいと願う人は祈ることで「神霊」に繋がると勘違いしている人もいます。
大自然界にも段階があるように、「神霊」に繋がるには、想念の修正や浄化、肉体や身体の浄化から始め、段階を経て、少しづつ通じる世界が変わっていくという波動調整の方が望ましいと思います。
今でこそ、スピリチュアル・ブームやエンジェル・ブームやチャネリングや霊能者が持て囃されておりますが、少し前までは欧州では魔女や魔法使いは火破りや石攻めで殺され、日本でも狂人扱いで座敷牢に閉じ込められたという話もあるでしょう。波動の違う世界に通じるということは常にこのような危険と隣り合わせにあるような気がします。
つまり一歩間違えると「狂人」になるか、「あの人はおかしい」と変人扱いされてしまいます。人の一生は尊いものです。取り返しのつかないことになってからは遅すぎますので、霊媒体質の人は現実的に生きる時期も通過しないといけません。くれぐれも注意して歩んで行く方が良いでしょう。
「体感する波動で判断するのは危険」
霊媒体質や受けやすい人は感受性が強いので、どうしても、体感する波動で善悪の判断をして、正しいと信じると誰の言うことにも耳をかさずにそれにのめり込むという性格の人が多くいるように思います。
この世で正しい、正しくないという基準は人間が決めた法律みたいなルールであって、善悪を判断することは心の混乱を招いてしまうおそれもあります。
間違っていたと謙虚に途中、引き返せる人であれば良いのですが、人によってはこのメッセージは私だけの為に神様からの啓示だと思い、実は未浄化霊の誘惑だったりするので、気づかないまま生死に関わる所まで突き進んで悲惨な結末を迎える人もいます。ご家族やご本人、また周りの人でこれはおかしいと感じたら早め早めに信頼のおける人に相談することもお薦めします。
人によっては自分だけが特別な大きな役割を担っていると錯覚して、宗教にのめり込んだり、スピリチュアリズムの教祖様みたいな人の取り巻きの一人になりたい為に、日常生活も地に足着かずに生きている人や蒸発してしまう人さえもいます。一度、しっかり足元を見つめ直して頂きたいと願います。いくら良い霊能者、ヒーラーであっても非現実的な生き方ではいけません。しっかりと現実生活を全うするということはとても大切なことです。
ここ最近はスピリチュアルという名で新しいカルト教団の類も見かけます。そして、被害にあっている人も沢山いると思います。そして、名前を変えて宗教からスピリチュアルとしてお金儲けに利用している人達も少なくないでしょう。
本当の霊能者やヒーラーであれば肉体が道具のひとつであることを理解していますから、「我と欲と見栄を離して空っぽの器になったら神様との距離が近くなり、神様からも高級霊方からもお役目が頂けます。」 これは、単純に本物とニセモノを見分ける価値判断の基準と言っていいでしょう。
情報社会ですから真の指導者を見極めるということは大変重要です。
言動と一致している人か、愛情深い人か、言葉に責任を取れる人か、冷静な目を持って見ているか、宗教や精神世界に興味を持つことは大変素晴らしいことですが、盲信することは危険なときもあります。
特に霊媒体質の人は神がかりな事ばかりに興味を持ち過ぎて、幽体離脱や肉眼で天使達を見たい、神様を見たいと願う人は波動調整をした方が良いでしょう。

またの機会に救済の神様のお話などをさせて頂きます。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

真の幸せは気づきから始まる

7.5:350:262:0:0:DSC00481:center:1:1:キプロスの夕日 大自然へありがとうございます。 ^-^:
こんにちは!
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
今日は他のサイトで「御札」の話をしたのですが、本当の幸せとは?
幸せになるためにはどうすれば良いでしょうか?
もう、20世紀の日本の儒教をベースにした長男思考、家や土地思考、さらには人を脅かすことを前提とした時代の考え方は21世紀では必要ないのです。
悪霊などこの世に存在しないのです。この世もあの世も人が生きていて肉体があるか、ないだけの違いです。ですから、本当は霊障というものもなく、亡くなった家族などが成仏出来ないであの世に帰る道を失ってしまった為に子孫である人や霊媒体質の人を通じて、お知らせしているだけなのです。
波長の法則というのがあるように、霊達も人間も似たり寄ったりの波長で繋がっています。ですから、誰も悪くないのです。
私は豪州でプロの占い師として人々のご相談を受けて来ています。日本人以外の40カ国以上の人種のご相談を鑑定という形で受けて来ていますが、多くの人達はどこの人種の人達もそうですが、不幸の原因は自分自身の波動や考え方の「身勝手」や「自己中心的な考え」「他力本願」「プライド」「エゴ」などが邪魔をしていることに気づいていないのです。
日本の七福神の中に布袋さんがいます。霊能者や占い師やヒーラーと呼ばれ天職としてこの世で活動している人達の多くは、この布袋さんの役目をしています。
あの大きな袋の中に何が入っていると思いますか。
開けて見ると驚くでしょう。あの袋には私たち人間が人の悪口や陰湿な言葉や人を貶す言葉などをあの袋に集めています。さらには、感謝の言葉や優しい言葉、人を励ます言葉があの袋に入っています。つまり「掃除屋」と同じ役目をしております。
私たち人間は繰り返し思ったりしたことが現実化します。
悪い想念は悪い出来事が増え、良い想念は良い出来事が増えます。
個々によって価値観が違います。プラス思考かマイナス思考かはその人の生い立ちや過去世から背負って来ているカルマという自分自身でしか断ち切ることが出来ない業と共に輪廻転生して来ています。
今年の7月は地球から多くの警告を頂いております。
どこの国でも現代人で勝ち組と呼ばれている物質的には成功している人達などは、自分勝手に生きることを強く生きることだと信じている人達もいます。
自己中心的に身勝手に生きること=強く生きることではないのです。
ですから、人間が大手を振ってこの地球を破壊を続けていることは他者に迷惑をかけているのです。自己中心的に人間だけがこの世で一番の生物だと思い、大自然を破壊し続けていたことで、すでに地球を手当て出来ない状態になっております。
身から出た錆と言えるでしょうか。
後、50年もすれば今でこそリゾートと呼ばれている場所も海底に沈んでいることでしょう。自分は生きていないから、どうでも良いと思う人の方が多いでしょうか。
この「身から出た錆」は個々の現実的な問題へも感化しています。
つまり、物事が上手く行かないと感じたときは、誰かのせいにするのはやめましょう。
こんな貧乏な家に生まれた、容姿端麗で生まれなかった、身長が低い、高いなどは、すべて生まれて来る前に自分で選んで来たのです。
それはその選択によって多くの気づきを貰う為です。
友達が出来ないのは、本当は自分には問題があるのではないか?
自分が周りの人々をキズつけてきていないか? もしも、今、物事が上手く行っていなければ、一度、自分を見つめ直してみる必要があるかも知れません。
自分で気づかないと「馬に念仏」になってしまいます。
自分で気づき、うそや間違いに気づき、そのことに対して反省して、新たな出発をした方が、本当の幸せが一歩近くなります。人を変えたい、人をコントロールして必死になるよりも、自分自身が変わることで、周りの環境も変化して行くのです。
今、地球自体も変化して行っています。
その地球の変化を見守りながら、自分への言動も謙虚に反省して、見つめ直し、悔い改め、修正していく必要がある時期です。
自己反省をすることで、本当の問題の答えは自分自身の中にあることに気づくでしょう。
謙虚に反省しながら、周りの人々に感謝しながら、真心を持って人に接して下さい。それが本当の「気づき」へのスタートになることでしょう。
「人よし 我よし」精神で参りましょう。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

神様との距離が近くなれる「人よし 我よし」精神を持とう!

スピリチュアル☆

28.5:350:263:0:0:natural:center:1:1:大自然は神様の化身・・・ ^-^  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
この7月に突入してから多くの場所で天災が続々と起きている。
これからもこの天災は続いて行くらしい。
週末に起きた英国の大洪水は60年に1回というほどの被害である。中国でも大洪水、アメリカでも大洪水が起きた。
鉄砲水のような雨が降らなかった欧州の違う国では、ヒートウェーブで猛暑を通り越した暑い週末が続いた。
地球温暖化対策として色々と科学者達もどうにか良い対策がないか考えているらしいが、大自然はすべて神様の化身だと思える。人間なんて大河の1滴の存在である、その人間が科学兵器や自然を破壊続けた結果起きたことである。
私は20年前から飲み水を大事に扱うように伝えて来たが、日常生活で当たり前である水道の蛇口をまわすと飲み水が出る、お風呂にも毎日、飲み水の数十倍を使っている。欧州辺りで水道水が飲める国は雨が多い国だったりする。キプロスでは蛇口をひねって出てくる水が飲める場所は唯一、山の湧き水が豊富な場所だけである。もちろん、高いドイツ製の水道の蛇口にしてしまえばいつでも蛇口をひねる水が飲めるお宅もあるが、基本的には近所にあるスプリング水をお金を出して買うか、スーパーでお水を買うのが辺り前である。
トイレも紙を流さないのがキプロスでは当たり前である。
降水量がこの数年でどんどん減少して行っている国であるから、対策も色々と考えて行っている。観光客は雨が降らないこの国にやって来ては大喜びしているが、ローカルな人達は「水不足」で頭が痛い。
数週間前に豪州でも豪雨で水不足から開放されたというニュースが出ていたが、その水不足とは裏腹に家屋や車などの被害は相当な被害総額になっている。
今回の日本での地震の被害総額も凄いが、英国の大洪水の被害も凄い。
雨が沢山降っても、飲み水となるとどこかで買わないといけないが買う場所が少ない為にスーパーでもお一人様6本ほどを人によっては買い占める人も見かけた。ガスも電気もインターネットさえも使えない状態で、道路も水嵩の為にカヌーかボートで移動しなければならないこの3日間ほどでベニスの様になってしまった。
その水一本を購入するにも、そこまで行くのに大変なことになっている。2階立ての家でお年寄りも水嵩が減るまで数日待っていたが、なかなか減らないうえに、水も電気も使えない状態になっている。
人の足元をみて儲けたい人はどこの国でも同じだろう。
世界一物価が高い国で水1本が300円~500円ぐらいが相場だが、昨日のニュースでは小さなボトルに水を配給して貰うだけで、アメリカドルで10ドルだそうだ。家族5人で5本分となると50ドルか・・・。と思うと凄過ぎる。
スーパーの店長は困惑はしていたが、内心ではかなり喜んでいる顔をしていた。いつもなら薄利多売でお客様を集めることで必死だろうが、天災でそこだけオープンしているとなると、高いなぁ~!と思いつつ買うしかないだろう。
しかし、先進国ではなかったのか、水一本も国からプレゼント出来ないのか。
去年の今頃、レバノンで戦争が起きたときに、多くの外国人がキプロスに難民としてやって来た。その時に心広き人達は食べ物を差し上げ、水をあげ、中にはホテル経営者で寛大な人はすべてのお部屋を無償で水知らない人たちに提供していた。これはキプロス正教会などのキリストの教えなどを基本にしているから出来る行為かも知れないと思える。
イギリス、アメリカ、日本などは経済的には先進国で経済国である反面、国は豊かかも知れないが、一人、一人の国民はおととしのアメリカのハリケーン、そして、地震、今回の大洪水で家屋浸水があった場所がほとんどであったが、どうなんだろう。イギリスはスピリチュアリズムでは元祖だが、日本と同じで宗教を煙たがる人達が多い。
イースターとクリスマスは休みが取れるぐらいの感覚でキリストの復活などと考えて休みを取る人達の方が実際にどれぐらいいるだろうか。
日本でももうすぐお盆が近くなって来ているが、休みが取れるぐらいに思っている人が多いのではないだろうか。日本のお盆はキリスト教でいう復活祭に似ているわけで死者が年に一度、自分の子孫の顔を拝みに霊界からこの地上界にやって来れる日である。
これからも揺れ続けるだろうと思える地球での生活の中で、もっと神様に近づく為にも感謝しながら生活する必要が私たち人間には必要であろう。
一人でも多くの人が早く「気づき」を貰い、感謝しながら「人よし 我よし」精神でこの21世紀を生きて行くなかで、手と手を取り合って助け合いながら生きる心を大事にすることを学ぶ必要があるのではないだろうか。
いくら立派な家があっても、銀行に大金があっても天災で一瞬にして無くなることもある時代である。
肉体があり、この世で魂の向上の為に輪廻転生したことを忘れてはいけない。
だから、思い出す必要があるだろう。
私たち人間は生かされていることの有難さ。
もしも、あなたが不安なこころを持っているなら、もっと神様との距離を近くすることで安心出来るだろう。
ありがとうございます。

地球へのヒーリング、今後の課題

スピリチュアル☆

40.6:226:72:0:0:zen1:center:1:1:【今、ここ、自己】  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
2007年7月17日の地球へのヒーリング・イベントへ参加して頂いた多くの方々へ、ありがとうございます。
ありがとうございます。
昨日の大イベントは地球に住まわせて頂いている私たち人間へ多くの気づきを頂ける有難い日になりました。
参加した人の多くが感じた「幸福感」をどうぞ忘れないで下さい。
この幸福感こそが、悟りに近い体験だと思います。
さて、今回の大イベントへ参加した方の中では瞑想を一度もやったことがない方達も多く参加していると思います。
今日は瞑想ではなく、禅の実践を綴ってみようと思います。
日本に禅を持ち帰った道元師が「身心脱落」して頂いたお陰で、日本ではこの禅を教えなくても人伝えに茶道、武道、華道、能などから日本人の心がありました。
庶民が何か困ったことがあれば、お寺に駆け込ん行く時代がありました。そして、お寺では色々な節句に合せてお奉りする行事を通じて四季を知り、神様との距離を短くすることが出来ました。
ここ最近ではお寺に足を運ぶこともあまりなくなりましたでしょう。
それは他の国のキリスト教会や正教会でも若い人達はわざわざ、教会に足を運ぶ機会が減ったことでしょう。
人間は一人では生きて行けません。そして、今ある物質をあの世にも持って行けません。持って行けるものは「体験」です。
どうして、お釈迦様、キリストも座り続けたのでしょうか。
それは、道元師が得た体感の「身心脱落」のために座るのではなく、ひたすら座ることが「身心脱落」なのです。そうすることで、本当の自己と出会うのが最初です。座るうちに、気分が晴れやかになったり、煩っていた悩みが半減したりしますが、それらはいずれ仏性に目覚めこの大自然と実際に一体化する過程の副作用なのです。
ですから多くの聖人達は座りました。もちろん、座らなくてもこの大自然と実際に一体化することが出来る人達も多くいらっしゃいました。
禅では出家していない人達を在家と呼びます。
その在家の為に「在家五戒」というものがあります。
一、殺生をしてはならない。
二、盗みをしてはならない。
三、よこしまな愛欲の行為をしてはならない。
四、他人をあざむいたり、自分に嘘をいってはならない。
五、深酒をしてはならない。

これを守りながら、座るのです。
座ることで雑念や悩みが海に浮いているゴミのように行っては来たりすることがあります。でも、それを気にしてはいけません。拘ってもいけません。そのうち、そのゴミも浜辺に打上げられるゴミのようにつきてしまいます。
それが尽きたところで本当の自然の浜辺が現れます。
それが本当の自分が現れることになるでしょう。
そのこころこそが、自他共に共存し、自我を離れ、大自然と一体化し、永遠のやすらぎを生むのです。このこころこそが、日本人が忘れかけていた心ではないでしょうか。禅のこころ。
永遠の命に目覚めれば、過去にも未来にも拘りがなくなります。
そして、禅の世界観を「今、ここ、自己」という。
今を精一杯に、置かれた場で充実して生きる自己を見出すのが、禅です。
そのような自己を取り戻すためにも、一日に一度は静かに座り、心と身体を整え、自己を見つめてみることです。
ありがとうございます。

19.4:266:350:0:0:mamacopy:center:1:1:いつもありがとうございます。ありがとうございます。:

2007年7月17日 丹波哲郎様 祝 

56.3:120:160:0:0:tamba:center:1:1:お誕生日おめでとうございます!:
2007年7月17日 
丹波哲郎様 お誕生日おめでとうございます。
霊界からの発信をお待ちしております。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

そして、いつも読んで頂いている読者様へ、
愛は地球を救います! 来世の地球の為にも
2007年7月17日
時空を超えて、地球に光を頂きましょう!
よろしくお願いします。
ありがとうございます。

そして、丹波哲郎様の霊界サロンでご縁が出来ました、ブロガーの丹波啓子さん、稲川りよ子さん、まゆみさん、千鳥さん、月夜乃さん、タカさん、いつもありがとうございます。そして、管理人の小林正季さん、多忙な中での活躍をありがとうございます。
ありがとうございます。
合掌

ちょっと生きるとは何か考えるお話 パート2

癒やしの世界

810.5:605:457:500:378:chikyuu3:center:1:1:愛は地球を救う! ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
中越沖地震、お悔やみ申し上げます。
ここキプロスに移住する前に日本へ旦那と一緒に旅行した時に、東京に滞在中にどうしても日本海の夕日が見たくて片道3時間をかけて日帰りで新潟に行ったことがある。その同じ年に新潟で大洪水、大地震が起きた。そして、おととしの東京での地震、今年の能登半島地震も相次いで来ている。飢餓で苦しんでいるアフリカ、黒いダイヤモンドと呼ばれている石油を奪い取る為に戦い続けている中近東。人事ではすまされない、日本は平和という意味ではまだまだ平和ボケしている人もいるだろうから、平和であろうが、天災は避けれないだろう・・・。
台風の被害も多かった次の日に地震・・・。
神様が何かを私たちに告げていることは確かだろう・・・。
祈りましょう! 明日の日本時間20時11分
さて、続きを書くかどうか考えました。今、書いておかないとどうも今年中に書けないと思いました。少し綴ってみます。
ここ最近はマスメディアの影響で人々を不安にさせる出来事を目や耳を通じて見たり、聞いたりしていることでしょう。さらには家族や友達との話題も今後の悩みや不安が多いと思います。
日本や他の国での資本主義の国であれば、少なからず平等というカテゴリーにはめ込むことは無理難題でしょう。
私たちは生きているだけで他人の力を借りないと生きていけないのです。
つまり、生きているだけで他者に迷惑をかけていることになるのです。
迷惑をかけずには生きていけないのです。
人間一人が生きていることで、それだけ地球の酸素が減少するでしょう。
会社でも学校でも枠の中で決まれた定員以上に人を増やせず、受験で合格者が5人と決められていれば、5人だけが合格し、不合格者は涙をのみ、その後の進路を考えて生きていく必要があるでしょう。
会社でも部長というポジションにつくことが出来なければ、平社員でいるか、転職するか、努力して部長になるしかないでしょう。
それが競争社会の本音でしょう。
つまり社会全体が椅子とりゲームに参加していることになります。
競争社会にいる限り、ひとつしかない椅子に一人以上の人達がその椅子欲しさに競争しているのです。その時点でお互い迷惑をかけて生きているのです。
人が多い場所に住んでいると、お互い様なんです。
私たち人間は、生きているだけで迷惑をかけているのです。自分だけは違うという人はいないでしょう。この暑さでエアコン、扇風機をつけていない人もいないでしょう。洗濯物を手で洗う人は最近では先進国では稀でしょう。ガスや電気代を払っているから、電気もガスもつけ放題という人もまだまだいるでしょうが、地球の酸素を減らしているのです。
自分は他人に迷惑をかけている。それを他者に許されて生きているのがわたしたち人間なんです。だから、他者から受ける迷惑も耐える必要があるのです。
仏教では、他人から受ける迷惑にじっと耐え忍ぶことを「忍辱」(仏語。六波羅蜜の第三。侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと。)という言葉があります。
忍辱は大乗仏教の大事な修業です。仏教では他人に迷惑をかけることは教えていません。迷惑をかけないで生きれるなら迷惑をかけないほうが良いでしょうが、そんなに簡単に他者に迷惑をかけないで生きれるならどんなに楽でしょうか。
話は食べ物に変化しますが、20年前にグルメで大金を散財した方達も今ではオーガニックの食品や日本食や手作りの食材を食べる方達が多くなりました。
日本では禅の影響で食事を頂く前に「いただきます」と言いますね。その「いただきます」という言葉の意味の中には、その意味は、「あなたの命を、私の命に変えさせて頂きます。」という意味があるそうです。他のサイトで書いておりますので、少し省略します。
では、仏教の不殺生戒を考えてみましょう。
意味は生き物を殺してはいけませんという意味です。
殺してもいい殺さなくても良い、どちらでも良い場合は、人や動物を殺す人はいないでしょう。
鎌倉時代は武士社会に変化して行きました。公家と武士の戦いの中で、さらに人々は飢えで苦しみ、天変地異で怯え苦しみました。その時代に輪廻転生していらっしゃる道元師、法然師、日蓮師、親鸞師などがいますが、法然師は念仏を唱えることであの世に行けると庶民に伝道しておりました。
殺しても殺さなくても良いなら、仏のこころを持って生まれた人間すべてが人や動物を殺すことがないでしょう。わざわざ人を殺す人は正気ではないでしょう。正気な人が人を殺すことで、そこでこの世でカルマが出来ます。そのカルマはその人の心を脅かし、何をしても、寝ていても、その映像が浮かんで来るでしょう。
では、どうして生き物を殺すのでしょうか、大抵はその因縁の星の下に生まれていることになります。
人の命を奪わなくても、生き物の命を奪っているのです。
今日、あなたは焼き鳥を食べましたか、タマゴを食べましたか。
リンゴ、にんじん、たまねぎを食べましたか。
人間で生きている際に、空気だけ食べているという人は皆無に近いでしょう。
キリスト、お釈迦様でさえも、何かしら口に食物を入れて生きておりました。
ですから、凡人であるほとんどの人達は食べなければ生きていけません。
私たちは生き物の命を奪っているのです。不殺生戒をしているのです。
いや、私はそんなことはしていない、犯していない。
他人が殺したものを買って食べているという人がいても、それでも間接的に誰かの手で殺した後にカツどんを食べていることになります。
でも、私たち人間は何かしら食べないと生きて行けません。
そういう意味でも、他人に迷惑をかけているのです。
小さな迷惑でも、大きな迷惑でも、動物、植物やミネラルが存在している地球に負担をかけて生きているのです。
これからは少しその地球に住む動物、植物や人間にも負担を軽くしてあげる為にも明日のイベントにて地球に感謝しましょう。
良い想念で私たちの母体である地球に感謝することで、多くの人が生きるとは、これからの精神面での意識改革に繋がることでしょう。
そして、良い想念は必ず、現世でなく来世にあなたを含めるこの地球人へ良い波動として返って来ます。

では、明日、時空を越えてお会いしましょう!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

パート3も機会があれば・・・。 ^-^
18.7:350:215:0:0:fuji:center:1:1:祖国ニッポンを大事にしましょう。ありがとうございます。:

ちょっと生きるとは何か考えてみるお話 パート1

13.1:350:192:0:0:ochanoko1:center:1:1:ちょっと生きるのが楽になるだろう・・・。ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
いつも書くと長文になってしまいます。さらに、パート1とか題名に付けてしまったのですが・・・、映画と同じでなぜか終わりがないときもあります。
ここ最近は日本でも格差社会と呼ばれるようになって来ています。
これは競争社会にいると致し方ないことになります。
でも、生きていかなければいけません・・・。
では、どうすれば競争社会で幸せになれるでしょうか。
いつの時代も選択方法があったと思います。
1つは貧しいことが不幸という考え方。幸福になるために貧しさから開放されなければなりません。貧しくてパンが食べれなければ、ケーキを食べれば良いとか、ケーキを大きく作り、それを分ければ良いという考えでしょう。
もう一つは、二人の人間にケーキが一個、パンが一個しかなければ、半分にして分けて食べようと言う考え方。
これが仏教で言う布施の考え方、宗教の方法ですね。
一つのケーキを二人で分けることは「人よし 我よし」の意味が含まれています。
お兄ちゃんがお土産に貰った小さなケーキを妹にもあげて、半分にして食べた。
なぜ、半分にして食べたのでしょう。
もしも、妹が欲しいそうにしていて、かわいそうだから半分あげた。という思いはいけません。
かわいそうという思うがあると、喧嘩したときはあげたくないという気持ちにお兄ちゃんはなるでしょう。
今日は気分が良いから、あげる。でも、午後からは気分が悪いからあげない。
そして、「かわいそうだ」という思いは、相手を見下していたり、哀れみであって、卑下して物事を決めるこころの癖に繋がります。
そうなると、妹がケーキを貰って来て、お返しに半分にすることも悪いことではありませんが、それだとお中元やお歳暮と同じで、お返しがある人にしかあげれないことになります。
仏教的にはそれでは駄目なんです。
仏教での教えは、「一つのケーキを二人で分けて食べた方が美味しい」ということなんです。
「あなたと一緒に食べて美味しくなりました。ありがとうございます。」というあげたほうがお礼をいうのが、それがお布施なんです。

現代の日本の社会ではどうでしょうか。
ケーキを大きくする考えの方に忙しいでしょう。
ケーキが大きくなっても、さらに大きいのが良いと思う人の方が多いでしょう。
資本主義は自由競争ですから、ケーキを大きくするために社会全体が競争社会にならないといけない仕組みです。競争に勝ったら、褒美でケーキが多く貰える。負けたものにはお零れぐらいは貰えるか、なしというときもあるでしょう。
1つのバナナを二人で分けても、沢山バナナを食べたい人にとっては、満足感はないでしょう。競争社会であれば、買ったものに満足感をあたえ、負けた者には敗北感を持たせることで、次は勝つぞと意欲を持たせることで、社会全体の富が増やせるわけです。負けた者は、敗北感や不満感を変化球にして、次はバナナを2本手にいれる方法を考えようとするわけです。
その社会にいると負けた者は屈辱感の塊を持ち、勝った者はこの次はどうなるか分らないから危機感を持って生きる。勝っている間はバナナが1本多いので、それを賄賂として審判であるお国に贈呈することもあるでしょう。
そういう条件では、誰も満足していないことになります。
どちらも不幸であるでしょう。誰も幸せでないから、良い子で、頭が良く、良い家庭の子供が良い大学を出て、社会に出ると、精神的に考えるわけです。そして、ストレスを抱え、ある日、突然、会社に出かけるのも嫌になるのです。
昭和30代ごろであれば、家が貧しくて大学に行けないこともあって、下から伸し上がって行き、貧しさをバネに、自分はあんな人達に負けてたまるかという伝説を作った松下さんとかいらっしゃると思います。だから、何も自分の才能や人格が否定されているわけでなく、ほとんどの人たちが戦後の貧しさを苦労しているから、精神的に逃げ道があったのです。
でも、最近ではその逃げ道がないのです。
売り上げが上がらないのは本当は社会の仕組みに問題があるでしょう。
努力しても、上司からあいつは実力がないからだと最初から決め付けられていることもあるのです。本当にこんな社会にいると辛いのは普通の人で、ロボットでなければ、人を蹴落として自分さえ良ければという人はいないでしょう。
今の日本はとっても豊かになっています。誰でも何かしようと思えば出来る社会になっています。だから余計に下から伸し上がって来る人間には逃げ道がないのです。
だから多くの人は不幸なのです。
若い人がやる気を失っても当然なんです。
日本の若い人の希望する職業は芸人だったり、フリーターになりたいと追いやったのも、実は競争社会なのです。
競争が悪いとか、良いとかよりも、努力と競争は違うでしょう。自分で努力して何とか伸し上がろうと思う気持ちが、実は自分を苦しくしているのではないでしょうか。
楽しい努力は生きがいにもなります。しかし、頑張らなきゃ、頑張らなきゃと必死に歯を食いしばるような努力は身体にも心にも大きなストレスになるでしょう。
自分を否定した努力は、私が駄目だ・・・、もっと頑張らなければ・・・と呪縛してしまい、バナナ、バナナが手に入れられない、私は貧乏だ・・・。
貧乏であってはいけないのだ、貧乏では幸せではない。バナナが欲しい・・・。
そういう呪縛している人はいくら必死になって富をえても、また、自分を否定してしまうのです。
日本はもうすぐ原爆投下から戦後62年という年月が流れています。
しかし、日本の学校を見てみると「給食」を出しています。これは戦後アメリカ軍のアイデアで同じモノを同じだけ与えることで満足させたつまり配給制度とあまり変わらないのです。
食生活も変化している中、そして、給食費が払えない、払わない親たちに平等という意味も分からないでしょうから、文句をいう親たちにはお弁当でも作らせれば良いのです。お弁当を作っても多分出来合いのモノを入れるでしょう。
そして、もう一つ、日本の学校は自分達で子供にも教室の掃除をさせるのはどうなんでしょう。禅が理解出来ていた一昔であれば、それも使わせて頂いている教室ですから、掃除をするのは当たり前ですが、今ではその掃除をさせるのに、先生達も子供達を誘導出来ずにストレスで休職する人達もいるそうですから、掃除する人を雇う方が良いのではないでしょうか。他の国の学校で子供達が教室を掃除するのは日本ぐらいでしょうか。
日本の学校は自己否定することを教えます。たとえば、怠けてはいけませんよ、もっと勉強しなさい、掃除もしなさい、イソップ童話の「ありときりぎりす」を子供のころにインプットするのです。あのお話は実は日本で違うニュアンスだったりします。
ギリシャ人のイソップは動物、昆虫を良くみておりますから、キリギリスを助けています。もちろん、また違う意味で助けていますけど・・・。
そして、日本の場合、「出てくる杭は打て!」という言葉もあります。学校で道徳を教え込みのですが、人格改造にしているようにも思えます。
ですから、いじめも陰湿、社会に出ても大人でさえもいじめをします。
バナナが保持出来る人がすぐ下の人を使い、バナナを持っていない弱い立場の人達をいじめているのです。
無垢な子供は大人の教えを聞き入れるだけです。間違っているとか、間違っていないとか分りません。白を黒だと言われると、そう信じことでしょう。
子供は本来なら、他人を懲らしめてやろうとか思わないはずなんです。一緒に遊ぶ中で喧嘩になって殴ったり、叩いたりするのは、猫でも犬でもじゃれ合います。そこから、人間関係を学ぶこともあるです。しかし、学校からは自己否定を学び、大人になって海外留学などすると自己肯定的な努力をする国が多いことにびっくりするのです。
日本人は引き算が上手いのです。外国人は不思議と足し算が上手いのです。
そう意味では、職業の評価をしています。どの職業が収入が高い、低い。
高い収入を稼いでいる人は、汚い仕事をする人を見下しているときもあるでしょう。
本来なら生きる為に努力している汚い職業の人を見下すことは、誰が決めたのでしょう。
これは恐ろしい社会です。
善悪を計るモノサシは人間を不幸にします。
キリスト教でも、善悪を知る木の実を食べてはならないと神は禁じておれました。
ですから、私たち人間が善だ悪だといい始めたことが罪なんです。
かなり長くなりそうですから、またの機会にパート2を書きます。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
良い週末をお過ごし下さい。

学べば、学ぶほど惑うでしょう。

スピリチュアル☆

10.5:350:230:0:0:gandara:center:1:1:愛の国・・・ガンダーラ  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
さて、皆さんに質問があります。
どうしてスピリチュアルを学びたいと思いましたか。
すでにスピリチュアリズムに出会った後も、今でも霊的な能力を持ちたいと思っている人がいます。そうした思いは、スピリチュアリズムの道から少しはずれたものであるのですが、たぶん、こちらを読んで頂いている方はある程度、スピリチュアリズムの本なり、何かしろ学んでいるでしょうから、説明は省きます。
もしも、ある程度学んでいても、まだ霊的な能力を身に付けたいという思いがあるでしょうか。
その奥底に秘められた思いは、他人にはないものを手に入れたいと願う願望や自慢したいと願う気持ちがあるからではないでしょうか。
最近では少なくなりましたが、数年前まで時折、自分は霊能力がある、自分は霊と交信することが出来るという方達からメールや手紙を一方的に受けて来ております。
凄い人だと一方的にご自身が書いて出版した本などを贈呈という形で送っていらっしゃる方もいたほどです。ある人は「エゴかも知れないけど、私は人を救いたい、私は霊能者だから・・・」という人もいましたが、「エゴの為に人助け?」とは、余程、時間があるのか、現実離れしているのか、謙虚な言葉を使いながら、自分と他人は違うということを自慢したいという低俗な虚栄心からではないかと思ったことがあります。
スピリチュアリストであれば霊界からの交信を信じて活動をすれば良いでしょう。
私のような者に本を贈呈して頂いても興味がない本は読みません。欲しいという方がいれば差し上げたり、図書館に寄付したりしますが、傲慢な方は最初のページにご自身の名前と私の名前を入れたりしているので、図書館にも寄付出来ません。
不特定多数の方々がご覧になれるインターネットは大変便利でもありますが、大変、窮屈なときもあります。本当のスピリチュアリストであれば、霊的な現象や霊能力に興味を持ちすぎる人達に対して、その無意味なこと、間違いであることを教える必要があるかも知れません。
ただ、傲慢になっている方は自分は偉いと勘違いしている方達もいらっしゃるので、その人、ご自身が気づく必要があるでしょう。
霊能力は、霊的進化にともない自然に身についていくか、生まれ持ったものですから、霊能者、ヒーラーが昨日、スピリチュアルのドアを開けた人に霊能力の開発を促すことは危険があります。
そして、そのスピリチュアリスト自身が霊能力に拘っていたり、霊能力を持っていない人より自分は勝っていると思う霊能者は白雪姫の魔女のような存在でしょう。
他人が持っていない霊能力を自分が持っていることを自慢したり、自分は他人より優れているという霊能者と会話すると悲しい気分になります。
人間は毎日の慣れ親しんだ環境にて、心の底から謙虚になるのは難しいことでしょう。
人間の傲慢さは、霊的な未開発であるのに、人によっては低級霊と高級霊の違いにも気づくことなく、低級霊に弄ばれ、操れていることも分らない人もいます。
私たちが毎日の中で精進、そして、真理の追究に研鑽を重ねながら、霊的真理に照らし合わせて、自分のこころを知り、自分の心を反省することが出来る人こそ、スピリチュアリストでしょう。
謙虚になることで霊能力が失われることもありません。
真の霊能者であれば、本当の霊能力を人々の為に、真理を伝える手段として、インターネットを通じて読んで頂ける時代です。どんな形でも謙虚なこころで神様の道具意識を持っている方は正しい理解と共に、学んで行く必要があるでしょう。
そして、霊視能力者になる方法よりは、神の光が見えるように魂の眼を開く方法を伝える伝道師であるべきでしょう。

ですから、学べば、学ぶほど道から外れることもあるのです。
それは、霊力を甘く見たり、霊能力を営利目的に使い過ぎてしまい、低級霊とコンタクトを取っていても、その人だけは神様からの告知だと信じていることでしょう。
信じる者は救われると言いますが、それは本物を知っている人が誘導しているからであって、本来なら霊能力は神聖なものです。神聖なものを認識していない為に道から外れることになる霊能者もこれから増えて行くでしょう。
スピリチュアリズムやその他の聖人達の残して頂いた教えは本当に尊いものです。
学べば学ぶほど、混乱することは避けれないでしょう。
でも、側にいらっしゃるスピリチュアルガイド達は辛抱強く、私たちが自分自身で気づくまで待っていてくれます。
ありがたいことです。
学び続けましょう!
ありがとうございます。

インターネットでの情報の見極め方 

スピリチュアル☆

13.2:350:255:0:0:NONALNUM-415454313833343736365B325D:center:1:1:ピュアなこころ  ^-^  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます!
ありがとうございます!
こちらは毎日が暑い日々があと3ヶ月も継続すると思うと、涼しいところに行きたいです。あつい・・・。
最近では、スピリチュアルという言葉も定着して次のブームを作りたいのか、ある霊能者が実はある神の生まれ変わりであるとか、その霊能者のみに神様が下りてアドバイスして頂けるとか、ネット社会になってからは嘘も方便でお客さんよせに霊的存在を利用している霊能者もいるようです。
さらには、異次元の宇宙人とコンタクトも出来る人が増えているようです。
幽体離脱はいとも簡単に出来、その後、異次元に魂がこの世を離れてどこの星に行くのか知りませんが、行ってくる人もいるようです。
私の知人で宇宙人に歯を治して貰ったという人がいましたが、「?」としか思えませんでした。昔からネッシーを見た、UFOを見た、宇宙人を見たという人たちがいますが、最近ではそのメッセージを本にして出版したり、インターネットのホームページで紹介している人もいらっしゃるようです。
普通の人であれば、真髄を見極めることは大変困難だと思います。
前世占い、守護霊占いでは飽きてしまい、次は異次元・・・。
外ばかりに興味を持っても、自分の魂の成長になりません。
それが趣味の範囲ぐらいで興味を持つのであれば、それは致し方ないでしょうが、精神世界はこの世で生きる人の為の心の療法と言えるでしょうから、生きていて辛くない人は一人もいないでしょう。
その異次元とのコンタクトが出来る人、さらに、神様と対話が出来る人がどんなメッセージを受け取っているか、見極める必要があるでしょう。
一般的な常識からみてその人の言動は尋常かどうか、他人に対する言葉遣いや行いや態度、日常的な生活面でのあり方、そのあたりに「?」と思うことがあれば、その人にメッセージを送っている存在も「?」という疑問が出てくるでしょう。
この現世では様々なレベルの魂が存在しておりますが、この学びの道場である地球にて、自分自身が正しく生きる行為をするのが第一でしょう。
自分さえ良ければという「我よし」精神の考え方をしているメッセージであれば、正しい通信が届いていると言えません。
低級霊が姿形を変えて、異次元からだと語っているときもあります。
霊界などの異次元と繋がることの危険性は私たちが考えている以上のものがあります。
では、その霊界や異次元と繋がるとどんな危険性があるか考えてみましょう。
・スピリチュアリズムは宗教的な教えの体系であるという事実ですが、スピリチュアリズムを他界した人達の交信が出来るぐらいにしか考えてない人もいるだろう。だから、低級霊のようなインチキな霊がやってきて、偽りの通信を送り、憑依されてしまい、人の道を誤らせることにもなりかねない。
・高級霊は地上の雰囲気の中にはほんの少しの時間しかいれない。その為に、私たちから高級霊を呼び出すことは難しいことでもある。霊媒、霊能者の精神や肉体の状況の為に、本人の近くにいれないときもある。霊媒、霊能者の健康が優れないときは、低級霊は近づけても、高級霊は接近出来ないときがある。
・もしも、波動を上げたいと願うのであれば、霊的進化に努めようと、やる気を持つことが必要である。その人に教えを聞く耳がなければ、いくら高級霊が教えようと思ってもできないでしょう。高い啓示を伝えてきても、それを聞く側に耳を傾けなければ、いくら高級霊とても、満足のいく通信を伝えることは難しいでしょう。
・いま、私たち人間は学ぶ意欲が乏しいと言われています。遊ぶことばかりに目を向けていると言われています。今が不安、未来が不安ならもっと学ぶ必要があるでしょう。学ばないでなんとかなるか精神でいるから、邪霊達があの手、この手で絶えず陰謀を仕掛けて来て、私たち人間は冷えた信仰で、未発達なまま、この世での修業も十分出来ずに終わりを迎えることになるでしょう。
・今の地球上での魂はソウルメイトと呼ばれる類魂同士が磁石のように引き合うようになっている中で、悪は悪を引きつける。やる気がなく、道楽な人には、その周りに未発達な霊を引き寄せているだろう。純粋な人の場合は、その通りに人生がいかないことがある。ときとして、低級霊の攻撃の的になることもあるだろうし、その人の為の試練のときもある、または、生きている人の怨念のあるときもある。
・霊ならどんなな神秘でも知っていると期待してはならない。何でも知っているという霊がいたら、虚偽性を証明するものでしょう。
・低級な霊媒行為には必ず危険が伴う。それは霊交は単に驚きのためや興味本位におちいったり、金儲けのために使われたりしがちだからである。
・寄せ集めのサークルで、適正な条件を欠いたなかでの霊交は、低級で唯物的な霊を引き寄せること。このような低級霊達は、進歩した知的な霊より、こういう種類の霊交にははるから腕がよいからである。霊媒に対する適正な指導と保護が欠けていれば、霊媒はいつでも堕落へのドアを開いているのである。霊媒は誤ると、引き寄せた低級霊の慰み者となりやすい。
・通常、交霊会の部屋の雰囲気は、暗くて湿気があり、夜に交霊会を行ったりするが、それは低級霊にはとっても都合がよく、空気が少なく息が詰まり、浮遊霊や地縛霊にはお気に入りの場所であるから、都合が良い。
・好奇心の目的で心霊現象を起こして見せる者は、知性もモラルも低劣な霊の慰み者となることが多い。同じ霊と交信しているつもりでも、時が違えば保証はできない。というのは、低級霊は名前や姿形をごまかして、相手をだまして喜ぶものことが多い。
・霊能力が開かれると、地上と交信したがっている大群の霊達のとりこになりがちなのである。敏感であればその分だけ、地上近くの未発達霊の危険性が高い。この危険は恐ろしく、私たちが絶対に望まぬ場所でしょう。
・夢には、過去の出来事の正確な追憶の夢がよくある。また、予言とか警告の夢もある。この場合は、守護霊からの暗示の声ということが多い。これは、守護霊が力が足りなくて、本人の覚醒中はその魂に近づけない場合に起こる。守護霊は睡眠中の本人の霊に話しかけ、肉体感覚と混じらないように守ってやって、本人の心に記憶を残しておくのである。この場合には、本人の霊は忠実に思い出すことができる。
まだまだ沢山ありますが、機会があればまた考えてみましょう。
ありがとうございます。

地球を救う祈り 7月17日 

癒やしの世界

11.1:350:135:0:0:800px-Michelangelo:center:1:1:SAVE THE EARTH  ^-^  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
七夕の夜は楽しくお過ごしになりましたか? そして、お願い事は致しましたか?地球温暖化の為のチャリティーコンサートをご覧になった方達は世界中でなんと20億人だそうです。3人に一人がご覧になったり、聞いたりしたということになりますね。
ネット社会になってからは豪州と日本、アメリカとアフリカも瞬時にSMSやメールでやり取りできる時代になりました。
良い形でインターネットを使うことで、人の手助けにもなりますし、私たち、そして、他者達と仲良く住む為に必要な母体である地球でさえも救うことも出来るでしょう。
さて、今月のさらなる地球を救うイベントがあります。
それはFIRE THE GRIDです。
地球の為に、2007年7月17日、日本時間20:11から1時間祈りや瞑想をしようというイベントです。
実は私はこのイベントに関係なく、7月17日という日は大事な日なので、20年近くお祈りしております。南半球の寒い夜空を見ながらお祈りを続けて来ています。キプロスに移ってからは、暑い夜空を見ながらお祈りしております。
7月17日が私にとって大事な日なのですが、霊界サロンの丹波哲郎様のお誕生日が7月17日だというのを聞いて驚いてしまいした。
人生には偶然はないと言いますが、実感出来ます。
私は幼少時代からカバラを学んで来ています。そのカバリストにとってこの7月17日という日は大変重要視する日でもあります。
7月17日は「旧約聖書」にて「ノアの大洪水」が終わった日とされています。
旧約聖書に人間の運命の暗示が隠されているとするカバラでは、17日生まれの人がノアの大洪水のような激動の運命を持つと考えられています。
それは大洪水に襲われる運命であると共に、神の力によって「自分と一族」だけが大洪水から救われて、箱舟に乗って高い山の上に昇れる運命だと見るのです。
これは象徴的な意味では恐ろしく当たっているのではないでしょうか。
歴史的に有名な人であれば、作曲家のベートーヴェンは真冬の吹雪の中に生まれ、貧乏、失恋、そして耳の病気に耐え、世界一の大作曲家になりましたが、激動の人生だったことでしょう。
ノアの箱舟のような人生であったことでしょう。
つまり大激運だが大成功する可能性もあるということです。
しかし、苦しみに苦しみを耐え、悩み多い人生の中で出発をし、一生、大波にもまれ続けなければならない人生であるでしょう。
この17日に生まれた人達は普通の成功でなく、途轍もなく輝かしいものです。
しかし、引き換えに、何かの犠牲を強いられ、または、何かの苦難に耐えながら生き続ける必要もあるでしょう。
そして、この地球を救う為のお祈りの日が7月17日というのも決して偶然ではありません。アダムとイブの子孫である私たち人間は、このノアの箱舟を与えられ救われるような、きわどい時期に今、地球が来ています。
ノアは「神」に感謝して、ひたすら誠実に謙虚に生きたので、それで箱舟を与えられ、高い山に上れたのだと旧約聖書にあります。
そういう意味では私たちは誠実に謙虚に、そして、神様に感謝して生きる必要があるのではないでしょうか。

どうぞ、日頃から感謝している方も、今まで、感謝から遠のいていた方もこの7月17日、日本時間20:11から感謝しましょう。
良い想念は、必ず天にとどきます。そして、その想念を私たちの母体である母なる神の場所の地球へ返って来ることでしょう。
ありがとうございます。