奥の深いスピリチュアリズム ☆

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
これまで色々なスピリチュアリストさんとの出会いがありました。幼少時代から霊的体験は人様に話すと異常だと思われる内容だったりしたと思います。
今でも生きているのが不思議なほど何度も事故に遭い、普通に暮らせていることは有り難いことです。幼少時代は祖母の影響にて「神道」を学ぶと同時に最近は珍しくはありませんが、興味を持った思想はユダヤ思想の「カバラ」でした。
その後、学生になってからは「仏教」に興味を持ちました。お釈迦様の話は心温まり、10代にして溶け込むように宇宙とは、この世とは、あの世とは分り易い因果関係を学ぶことが出来ました。
その学びはまだまだ続いています。
私達人間は生まれて物心がついてから、好むや好まざるに関わらずに、幸福であれ不幸であれ、自分のこころの反映を言葉に言い表していると思います。仏教で言えば、幸福であるか、不幸であるかは、実は、個々の人の奥底に存在している欲望に関係があるということですが、それを知っている人は多くはないでしょう。
私達人間は欲望が、満たされたときに、表に出る表情はにこやかになり満足するでしょうが、それも時間が経つと忘れてしまいます。この世に永遠に続く幸せはないでしょう。しかし、私達人間は無理にでも幸せが続くことを願い、その幸せを失わないように努力し続け、それが逆に新たな不安や不満や心配を作っているのです。人に何かをしてあげたことで、相手から期待などを過剰にしていた為に相手から見返りがないとがっかりしたりしてしまうことでしょう。それがトラウマになり見えない傷になることもあるでしょう。
人は赤ちゃんの頃は悩みはありませんが、年を取るごとに悩みが蓄積されます。
人によっては幸せということでさえも悩みの種になってしまうことも、実は当然なのです。それは、肉体と精神で作られた人間は一秒、一秒と変化しているのですから、成長することは最終的には「死」を学ぶ必要もあるでしょう。
自然界を見て分ると思いますが、桃栗なども3年という時間を経て、成長期の時期になるでしょうから、それを短縮すると1ヶ月、1日、1時間、さらに1分の間も変化しているのです。
ですから、人間も変化していて当然でしょう。肉体が変滅しているが、魂は悟る必要があるでしょう。
このスピリチュアル・ブームで仏教のお線香くさいお説教を聞くよりも外国の思想を学んでいる人も多いようです。エンジェル・ブームもそうですが、このスピリチュアリズムの思想の由来はカバラ発祥地のキリストの教えがほとんどベースになっているだけでしょう。エンジェルも旧約聖書の中で昨日、今日の新しい物でもありません。このブームで聖書も読んだことがなさそうな人がスピリチュアル・カウンセラーだと言っている人をここ数年間で多くみかけるようになりました。特に日本のHPなどではスピリチュアルという外来語で何でも、スピリチュアルで片付けられるほど、このスピリチュアリズムは簡単ではないと思います。
私はここに来てから、キプロス正教を学び続けています。キリスト教は勉強したが、聖書を読んだから聖書の意味が分かるわけでもないし、理解したからと言って、それは悟りでもないだろう。
知識があるだけで、仏教もキリスト教もカバラでさえも、一番大事なのは瞑想が一番厳しい修行だろうと思う。頭で考える知識人は本を読んだことで、理解した、分ったということで自分は悟ったという人も見かけるが、多くの聖人達は何度も悟り続けているから、一回切りの悟りは悟りではないらしい。
ここ最近のスピリチュアル・ブームは霊の世界に関心を持つという意味では悪いことではないだろう。神秘的な世界、心霊研究や霊界についての情報を求めている人の数も増えている様子は、これは喜ばしいことでしょう。
しかし、スピリチュアリズムが「キリストの教えを学び直すこと」であることを理解する人は少ないでしょう。霊達から様々な情報を得ても、それは自分自身の道徳成長の為の糧としなければ無意味でしょう。そんなことに気づく人は少ないでしょう。それよりも霊と話せるようになりたい、怪奇現象に接したりしたいだけでは「趣味がひとつ増えた」に終わってしまうでしょう。
仏教でも「八正道」という教えがありますし、キリスト教でも言葉は違いますが、同じ教えがあります。正しく生きることで、道徳的に向上することは私達にとっては辛く難しいことでしょう。でも、努力すれば必ず報われる素晴らしさ、そして、その苦しみから解放された喜びを分かち合えてこそ、一つの魂として、この世に生まれた意義を実感出来るでしょう。
「科学的」に証明されなければ理解出来ないという人たちもいますが、本来のスピリチュアリズムとは心で感じ「創世主」と繋がりを持ち、さらに「宗教」を学び、苦しくともこの道のりは孤独で暗いトンネルを通過しなければならないかもしれないが、また、その最中にいるかもしれないし、たいして美化されることもないかもしれないが、奥の深いスピリチュアリズムを学べは学ぶほど、道徳的に成長する必要があるだろう。
だから、ブームだけで終わってはいけない。道徳を学ぶのにブームなど必要はない。自分を知るためにも学び続けて行く必要があるだけだ。
新しい形でも、古い形でも、言葉は変化しても創世主に感謝しながら、有り難い教えを実行して行きましょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
余談:「キリスト」は普通名詞のギリシア語で、「救い主」という意味です。へブライ語では「メシア」と言い、「油を注がれた者」という意味です。王や祭司、預言者がその職に付く時、頭に油を注がれたところから来ています。
キリスト教も仏教も、マヤの暦も大本も
やはり行き着く目的は重なってくるのでしょうか。
伝える立場にある人たちは、過去の経典を学ぶことは重要なのですね。[うーむ/]
西欧神学の影響が少ない正教は、古い形態のキリスト教の精神や形態を残しているように思えますが、
イスラム支配でビザンチンの政治的な影響が少なかったキプロスの正教は、特段古い時代の雰囲気があるのではないでしょうか。
このような時代に先生がキプロスに住まわれている事は、偶然とは思えないと感じます。[にこっ/]
こんにちは!
旅人さん [にこっ/]
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
ロシア正教、ギリシャ正教、キプロス正教と独自で成り立っています。
キリストの大親友のセント・ラザロスのお墓もあります。
そして、キリストの十字架の一部もキプロスの教会に保存しております。
キプロス正教はキリスト教が普及する前からエジプト、ローマ帝国の影響を受けています。なんせ、ヨーロッパ、アフリカ、中近東に囲まれている小さな島国ですが、中近東が栄えている際に通過する港としていました。
キリスト教がカルトと呼ばれた時代に弟子達が隠れていた場所はどことなくエジプトのピラミッドの中と似ています。
キプロス正教の聖書は旧約と新訳とが混じっています。キプロス正教の教会はバラの御香の香り、キャンドルライト、さらに、イコンは歴史を感じさせれられます。でも、私はクリスチャンではありませんが、キリストの教え、お釈迦さまの教え、さらにシャーマンの教えもすべて繋がっていることは実感します。
キリスト教とキリストの教えが違うことに気づかせられたのもキプロスです。
形に拘らない、本当のメシアだと思います。お釈迦様も達磨さんもそうですが、本物ほど無知で物質を追求している者の為に無言で大きなカルマの解消をして頂けたことで、多くの人達がこの世に転生を繰り返す地球を守ってくれていることは感謝の賜物です。
本当に有り難いです。
ありがとうございます。
[にこっ/][ウィンク/][にこっ/]
kazuko先生
ご返事、ありがとうございます[にこっ/]
聖ラザロスの墓があるのもキプロスでしたか。
実は私、少年時代は地元のロシア系正教会に通っておりまして、一応洗礼も受けております。
中年に足を踏み入れつつある今は、教会とは全く音信普通ですが、
先生が時折、正教の話題に触れるときは、少々懐かしく感じました。[にこっ/]
>キリスト教とキリストの教えが違うことに気づかせられたのもキプロスです。
正にこれです・・・
大昔に興味本位で「シルバーバーチ霊言集」を読んだことがありますが、
今でも印象に残っているのが確か、質問者が洗礼の事について尋ねたとき「司祭に魔力などない、水は水のまま」と答えていたのが印象的でした。
私の拙い記憶でもキリストも確か「最後の晩餐」を象るように弟子たちに伝えた以外は、儀式などをああしろ、こうしろとかは言っていないと思います。
教会の人が目にすると怒られますので、この位にしておきます。
いつも、ありがとうございます。[にこっ/]
[いやー/]「シルバーバーチ霊言集」を興味本位と言ってはいけません!
(正直いいますと、若干二十歳のあの頃は実際そうでした)
読んだ後で人に譲ってしまったのが悔やまれます。
始め言葉あり・・・言霊の力は大きい。
[いやー/]それと、教会のしきたりや典礼に対してつい否定的な言葉をいってしまいました。
これも反省しかりです。
言霊の力は大きい。
こんにちは、カズコさん。
いつも素晴しい言葉をありがとうございます。
私はごく普通の一般人ですので
難しい聖書や般若心経の真髄とか
よくわかりませんので、
沢山、勉強なさった方が『ここ、ポイントですよ』
という部分を分かりやすく、面白おかしく書いている
そんな本に出会います。
そして、この霊界サロン。
ありがたいですね。
ありがとうございます。
そこで全ての共通点が、
明るく、素直に、暖かく。[ウィンク/]
謙虚、親切、感謝。[ウィンク/]
綺麗な言葉。[ウィンク/]
愚痴、不平、不満、悪い言葉は絶対にダメ![あわわ/]
この、簡単な基本形がなかなか出来ません。
ついうっかり、愚痴を言っている人に同調してしまったり
嫌な奴だと思えば、優しく出来なかったり。。。
毎日、どこかしらで反省しています。
最近は、単刀直入過ぎる言葉も、
優しさが無いなぁと感じて、やさしく発言できるようになったかな?
「それ、違うじゃん!」から
「私はこんな風に思うんだけど、ちょっと違うんじゃなぁい?」[いやー/]
みたいに、
ほんの少しの心がけで
随分違いますよね???
最後まで読んでくださり
ありがとうございます。