【ユダヤの赤いシリーズ】日本と失われた民の記憶の神秘
なぜ日本に神に選ばれた民の記憶があるのか?
私は長年、霊能者として多くの場所を巡ってきました。
イスラエル、エジプト、アルメニア、そしてキプロス。
モーセが歩いた道、預言者の足跡、ユダヤの聖地。
そうした地に立つたび、日本という国にも何かが繋がっているという確信が強まりました。
日本の神道には律法と似たような掟があり、禊や穢れの概念もユダヤの清めの思想と共通しています。
また、古代の天皇家が天から降りたという神話にも、失われたアークを運んだ民の記憶が重なります。
かつて、ユダヤの失われた10支族の一部が東へ流れ着いたという説があります。
私はこの説を完全に研究しきっていませんが、霊視を通して言葉にならない何かを日本の土地から感じることが何度もありました。
神に選ばれた民とは、血はなく記憶であり魂の役割です。
そう考えたとき、日本人の中にも、かつて契約を交わした記憶を持つ魂が多く転生しているのではないかと思います。
私たちは皆、それぞれの形で「魂の帰郷」を目指しています。
忘れてしまった神との約束を、今こそ思い出す時が来ているのかもしれません。

『泣いた赤鬼』と他者愛の犠牲
童話『泣いた赤鬼』を子供の頃に何度も読み返していました。
「人間はどうしてこんなに残酷なのか?」と思うことがありました。
多分、小学生の時に、父の連れ子である姉がダウン症であったことで、虐められました。
それは、姿形が違う、異端者ということで弱い者を苛める習慣があった日本の田舎で、私にとっての姉は普通に天使のような可愛らしい存在でした。
3歳程度の知能しかないと言われていましたが、本当にそうでしょうか?
五感は優れていたと思います。

そんな思いがあったので、多分、この本に感情が注がれ赤鬼に共感していました。
人間と仲良くしたい赤鬼が、友人である青鬼の犠牲を受け入れ、人間の信頼を得るというお話ですが、この物語には霊的な他者愛の元が秘められていると思いました。
すでに、この頃から、カバラを学び始めていました。
感性が日本人でなかったと思います。
色々な赤い物を集めていました。
特に、赤い蝋燭、赤い毛糸、赤い靴、夜店で天狗のお面とかも自ら買っていました。
言語化できずにいましたが、やはり、このお話は、キリスト教におけるイエスの十字架や、ユダヤ教の契約と贖罪の概念とも共鳴していると思います。
青鬼は、自分が悪者となり、赤鬼の評判を守る役を引き受けます。
これはまさに「自我を超えた霊的な奉仕」であり、影の役割を引き受けた魂の姿です。
赤鬼は人間社会に受け入れられますが、代わりに一番の理解者を失います。
これは魂の成長過程で避けては通れない試練であり、愛と孤独の両立という霊的課題の象徴でもあります。
私にとっての姉は愛と孤独を一番最初に教えてくれた人物だったと思います。
このお話は単なる友情物語ではなく、何か大切なことのために自分を差し出す覚悟を子どもたちの心に静かに教えていたのではないでしょうか?

『赤い蝋燭と人魚』と魂の供犠と流浪
小川未明氏の『赤い蝋燭と人魚』もまた、日本の童話としては異例なほど暗く、美しく、深い寓意に満ちています。
人魚が子を産み、赤い蝋燭を灯しながらその子を残す物語は、霊的に読み解くと魂の供犠(いけにえ)と失われた民の放浪を醸し出しているように感じました。
赤い蝋燭とは、命の象徴であり、流される魂の記憶の灯火です。
西洋において赤は贖いの血を意味し、ユダヤにおける過越の祭(ペサハ)では、家々の扉に血を塗ることで災いを避けました。
人魚という存在は、海という集合無意識から現れる使者であり、陸に生まれた子どもは異界の魂としての記号。
この子が不条理に扱われる結末は、神との約束を忘れた人間社会への警告とも取れます。
赤い蝋燭がともされる場面には、聖所に灯される永遠の光の記憶が重なります。
それは魂の灯火であり、滅びることのない神との契約の証なのです。
この童話が私たちに伝えたいことは、霊的視点で見ると、人間の無知、記憶喪失、神聖を見捨てることの愚かさ。
そして、誰もが海に帰るべき魂であるという真理ではないでしょうか。

失われたアークと剣山の霊的符号
私が剣山を訪れたのは、世界的に混乱の渦が強まっていたコロナ禍の中でした。
人の少ない山道を進みながら、空気の密度、山肌に残る静寂、そして視えない何か、剣山には、通常の神社仏閣とは違う霊的な振動がありました。
古くから伝えられる「アーク=契約の箱」は、モーセが神と契約した十戒の石板を収めた聖なる箱。
この箱が、かつて日本に運ばれたという言説は一見すると荒唐無稽かもしれません。
しかし、剣山山頂には、古代イスラエルの幕屋とよく似た構造が示されていることです。
また、周辺地域にユダヤ起源を連想させる伝承や神名に似た音が多く残っていることです。

それらをただの偶然として見過ごしてもいいと思います。
しかし、私は、アークそのものが運ばれたのかどうかという真偽よりも、剣山が神との契約の記憶を封じた場所として機能しているのではないかと感じています。
ただ、既に、イスラエルに赤い牛が返って来たことで、日本の剣山には失われたアークはもうない可能性が高いです。
剣山の地場には、異常なまでに意識を引き込む磁力のようなエネルギーがあります。
本当に行きたかったのは、7月17日でしたが、同行して下さったご家族の都合で7月の終わりになりました。
そこに立つと、強力な磁場でした。シナイ山(モーセ山)も同じぐらい波動が高かったのを思い出しました。
まさに、「神聖なる誓約」に、再び触れることができました。
失われたアークとは、実は私たち一人ひとりの魂に埋もれている神との記憶ではないでしょうか。
剣山は、その記憶の扉を開くための地上の鍵だったのはないでしょうか。
