苦労は買ってでもしろ!

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
すでに今年も9月ですね。丹波哲郎様の命日も再来週のお彼岸の時期にお迎え致しますね。
私の誕生日は来週なんですが、とっても複雑な日になっています。自分自身の誕生日というお祝いして頂く日が6年前から変化して、前夫が私の誕生日の日に合わせて誕生日プレゼントとして亡くなってしまったので、やはり「命日」という日は寂しいものです。丁度、前夫が東京の病院で入院中の際に起きたNYのツイン・タワーの出来事、結構関係者があのビルにいたりしたので、そちらの方もはらはらドキドキでした。私が仲良くしていた生徒さんの一人の親友の旦那さんもあのビルで一番天辺でその前の日まで働いていました。
その前の夜は皆からの送別会を開いて貰った後の惨事でしたから、すべての同僚を失ってしまったということになります。
ある人で助かった人の話では、必死で階段を下りて行くときに、すでに亡くなっている人を足で踏みながら、ドアのノブに固まった手をほどきながら、下まで、家族の為に生きなければというので、やっとの思いで下に行き、灰で真っ黒になっているから、近所のホテルに入ろうとしたら、「ノ〜!」と拒否されたという話を後で話してましたが、そのホテルは最終的に潰れてしまいました。
多くの人達の命を奪っていますが、あの後から、地球人の考えが変わっていると思います。私にNYに行って皆さんの心を癒してあげて下さいというお話があったのですが、あの時点では、前夫が丁度他界した後だったので、自分自身に余裕もなかったのと、納骨したのをオーストラリアへ埋葬する予定でしたから、お言葉に添えませんでした。お墓の話になりますが、オーストラリアも火葬なんですが、日本人みたいにお墓信仰もないので同じ火葬でも、小麦粉みたいにさらさらで骨の原型がないので、これこそ本当の灰だと思います。日本で火葬で灰にして貰ったのですが、これが結構重たかったです。これでは、海にまいたり、薔薇園にまいたりすると捕まりますから、もっと小麦粉状にして下さるようにお願いしましたが、日本では駄目と言われてしまいました。オーストラリアのパースのお墓は天国の公園みたいでしたから、ユーカリの木やカラフルな薔薇に囲まれて、鳥達の声も聞こえて、蝶達もひらひらと飛んでいました。こんな場所なら安らかにあの世に近い光景で良いと思いました。
今日はこんなお話をする予定でなかったのですが・・・。
私も人間ですから、元気そうにしていても心身共に苦労することもあります。
でも、前夫の死、母の死を通じて、試練は自分の魂の成長だと思うようになりました。もちろん、試練を受けている最中は無我夢中ですから、ただただ、やらねば!と思うこともありました。私の人生も、障害と苦労の連続だと思います。
そして、若い時はその苦労から逃げたいという気持ちはありました。
例えば、前夫の死の告知をお医者様から受けたときには、覚悟していなかっただけに「どうしたらいいの?」と悲しい気持ちよりももっと深い寂しい気持ちになりました。
周りからはおしどり夫婦と言われていましたから、仲が良かったと思います。
そのパートナーがこの世から去ってしまうということは、あの世に帰る日は誰にでも、時期が来れば行かざるおえないでしょうが、やはり寂しいものです。
昨日まで、一緒に手を繋いで歩き、一緒に笑い、泣き、喧嘩もしたり、支えあったりしたのに、それが出来ないのか?というやるせなさでした。
時間が癒すと言われても実感が無かった。
でも、お釈迦様の教えの生老病死の「死」を学ぶことになった。
つまり、「死別」という大きな苦行を学ぶ必要があったのであろう。
でも、前夫の死後に色々な不思議体験もした。それは悪い体験でなく本当に霊界があるのだと実感出来る体験を耳や目で知ることが出来た。
だから、「死別」で前夫があの世に帰ってしまったことは寂しいと思うが、この体験をしているからこそ、死別で愛する人を亡くした方達の気持ちも分るし、あの世に帰っている方達の思いもミディアムとして理解出来るようになった。
あの時期は苦しみから逃げれる方法はないかと考えたものである。
何時間も歩いたり、ぼっと〜!としたりした。食べたいという気力もなかった。
このまま、前夫がお迎えに来てくれたらと願ったこともあった。
でも、前夫が「僕が亡くなっても人を導いてあげて欲しいから、リーディングはしてね。」という意識が無くなる頃も言っていたので、泣きながらもあの時期はやっていた。リーディングをしていたから、人と会わざるおえなかったから、お客様が来るから、掃除をしたり、お茶を入れたり、お花を飾ったりする中で生きなきゃと思うようになった。
今の状態であの世に帰っても宇宙貯金の貯金額は乏しいし、あの人はあの人なりの役目を果たしてあの世に帰って行ったのだから、逃げては行けない!
この苦しみには必ず意味があるだろうから、不思議な体験も特別な意味があるだろうし、すでにメッセージは受け取っているのだから、時間をかけてでも、やり遂げる必要があるのだろうと思うようになった。
この苦労があったから、多くの気づきを頂けた。
ある人の本で読んだ薄い体験談ではなく、自分自身に重い、錘を身体に付けられているぐらい身動きが出来なかった時期もあるが、錘を身体から取り去るにも智慧が必要だった。「どうして?」と自問している間は答えは帰ってこない。
ただ、ただ、ありのままの自分を見つめ、この体験こそが大切な試練であり、こころの底から、感謝したり、気づきに変わるまでは、消えないということが分った。
たぶん、この世に生まれて来る前に、「もっと強くして下さい!」と願ったかも知れない、または、満足を与えて下さいと祈ったかも知れない。となると、苦労無しでは、強くならない。ぬるま湯の生活では心を目覚めることが出来ない。
人生は川の流れのように、苦労という障害を交わしながら前に進んで行く必要がある。そこを超えれば、大きな海、大きな湖という新しい場所が用意されているかもしれない、じっと、流れて行く途中に小さな小枝に捉り、苦しむよりは新しい体験が出来る一歩手前だと思える日が必ず来る。
毎日の生活の中でも成長していない人はいないだろう。
さらに、今、苦しんでいる人は、魂の成長の糧になる贈り物を天から頂いているのです。だから、必ず、苦しんだ分、喜びになることを忘れてはいけません。
ありがとうございます。
コメントは結構なのですが、お世話になった方だけに気になります。
一般の方たちよりあちらや、こちらの霊との触れ合いを感じることができ、この世のしがらみから解放された死後の素晴らしい世界を知る方が、なぜ亡くなった方との距離を寂しいと感じるのですか?
あちらの世界は三次元の物質世界と違って、感情と思考が周りの元素を利用して直ぐにその象徴が顕れる世界ですし、時間も空間もその意味を持たない世界ですから、いつでも瞬時にして相手と逢えるではないですか?
もっとも、生きている人もそうですが、亡くなった方が必要とされないのなら、出来るだけその人の『神』の存在に近づき実感するための進化や、その霊的成長によるより自由な幸福のために、偲ばない、寂しがらない、考えない!という行為を自身に課せるがために、淋しいという気持ちがわいてきてしまうのなら、真理の探究者としては、超えなければならない感情と地上人的執着心なのではないのでしょうか。
以前先生は高級霊の道具になり切って、霊界の医師団に霊的治療を任せる人たちを、他人に対するヒーリングや自分の治療くらいは自分で出来なければ、本当のスピリチュアルリストとはいえない。真理の探究者ではないと言っておられました。
私もそう思ったから、私をこれからもそれ以上の真理を学ばせてくれることを可能としてくれるキリストと同じ時代に生きていて、そのそばにいらっしゃっていた方の現代への輪廻を知ることが出来たのです。
最近、その話す文体で解ったのですが、その心霊治療を行っているグループの代表者の方は、こちらの旧霊界サロンの丹波さんとの会談者の中にいらっしゃいました。
私はまだまだ自分の利己的な幸せや、知識欲のための真理の探究であるために、実感に確信をおけるほど、霊を感じることも見ることも出来ませんし、オーラもはっきり感じ取れません。
意識の移動や拡大はおろか、自覚しての幽体離脱も出来ません。
人には滅多にしませんが、スピリチュアル?ヒーリングも単に曖昧な想念をつくって自己満足をしているレベルです。
それでも、一生忘れられないと思った故人やソウルメイトの遺影はしまい、忘れるように、頼らないように、考えないようにしています。
その内必要がないと思える勇気が出れば、周りのものは、全て手放してしまいたいです。
こちらの世界あちらの世界の仕組みを知るに渡って、特に地上的な出来事には、必然的に苦痛苦悩の感情が伴う段階の学びが欠かせないようになっているようですが、
望んでいるか分かりませんが、故人の霊的成長が進み、越えるべきそれらへの感情や動揺と執着が少なくなり、霊格が上がって魂の本当の自由と幸せが訪れてもらいたいからです。
これは私の妬み心から、先生に対して疑問に思うのですが、
私は自分の作ったカルマの精算のためと、本当のスピリチュアルリストでいたいがために生涯独身でいたいのですが、
カズコ先生には、良き理解者?アドバイザー、ソウルメイトとまで言われている現在の素敵な旦那さまがおられて、さらに霊界にも以前の旦那さまがちゃんとおられて、その気になれば交信も出来るのでしょうから、何を寂しがる必要があるのでしょうか?
先生は敢えて色々な方と接していますから、その影響は察することが出来ますし、容易に拭えないのでしょうが、ご自身で真理の探究者と自称しておられるのですから、やはり不思議です。
諸説ありますが、我々と同じであって違う『神』の直接の生まれ変わりと言われるキリストですらも、肉体をまとって地上に降りると、地上的考えの影響や肉体の五感に捕らわれそうになると言われたとか、言われてないとか…。
霊能者でない私の話しでは信憑性が無いでしょうから、前出のキリストと同じ時代にそばにおられた方のお話しをちょうど読んでいますので、
〈何かを手に取ってこれは自分のものだと言った瞬間、その人はとても貧しい人になるのだ。
自分の手を開いて、手にあるものだけを自分のものと限定せずに、すべてが自分のものと言えば、その人は本当に豊かなんだ。〉
ただし、無理にそうして思い込んだとしても、その人の心は本当には豊かになっていないでしょう。
そう実感出来る自分になって、霊的に成長して初めてその意味ところの存在になれ、自由と幸福感を得られるのではないでしょうか。
もう一つ、目に入りました。
〈そうだな。人類の偉大なマスターたちは、地上での師がいたのだろうか。いや、ロゴスと波動が合えば、もう地上での師はいらないんだ。〉
ジャンヌ?ダルクもそうらしいですが、現世に輪廻し、その霊感の強さと発達ゆえに、普通の人が見えないものを日常的に感じ見ながらも、精神異常を来さなかったのは、幼いころからあちらの世界の師といつも波動が合っていて、
その師たちが常にそばで支えていたからだということです。
☆イッセイさん
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
ブログを読んで頂いて、ありがとうございます。
私がいくら精進しても、いくらレベルの高いスピリチュアリストとして霊性が開花しても、たぶん、私の感じる「寂しい」(慈しみ)と思う感情はなくならないと思います。
愛する人があの世に帰って行った。そのときにはこの世での楽しかった会話や出来事が回想シーンのように感じるでしょう。
それも長い間、四六時中、一緒に共に起き、食事をした中のパートナーがある日、この世の天命を果たしてあの世に行ってしまいました。いくら、スピリチュアリストでも、悟った人でも悲しい、寂しい気持ちはありますよ! 英国のスピリチュアリスト協会の書記のテリーさんも愛する身内の方が亡くなったことで、ミディアムとして活動するようになったというお話をしていましたし、時々、ふっと寂しくなるということは人間として持っている普通の感情ではないでしょうか。
かの一休さんにしても、日蓮さんにしても、親鸞さんにしても、皆さん悟った方達ですが、日蓮さんは母の忘れ形見の髪の毛をいつも胸のところへ収めていました。
正直言って、人の悲しさや苦しさが分らない方がいくら霊性の開花をしても、相手の立場になって考えてあげれないと思います。
霊性云々、幽体離脱云々という以前に「愛する」ことを学ぶ必要があると思います。過去生などが何であっても別に今を大事に生きる必要があるでしょう。
>一般の方たちよりあちらや、こちらの霊との触れ合いを感じることができ、この世のしがらみから解放された死後の素晴らしい世界を知る方が、なぜ亡くなった方との距離を寂しいと感じるのですか?
素晴らしい世界を知っていたら、寂しいという感情があってはいけませんか。私は生身の人間です。天職として、ヒーラー、ミディアムという仕事はさせて頂いておりますが、プライベートの時間もありますし、人並みに悩みますよ。つまり、他の人が天職としてサービス業で営業を一生懸命なさっているときは、全身全霊、社会の為に、会社の為に、家庭の為にお仕事をしているのと同じで、霊能者だからといって、先が見える、幽霊が見える、そして、予知能力があっても、普段の生活はしなければなりません。霊能力を使うことで、人の為になるのではあればそれはお役目ですが、自分の為にそれを使い過ぎると変な勘違いをする可能性もあります。
>あちらの世界は三次元の物質世界と違って、感情と思考が周りの元素を利用して直ぐにその象徴が顕れる世界ですし、時間も空間もその意味を持たない世界ですから、いつでも瞬時にして相手と逢えるではないですか?
残念ながら、あちらに帰った人もあちらでの学びがありますから、いくらこちらで夫婦であったから、いつでもドラえもんの「どこでもドア」という容易く会えないのです。もちろん、あの世にいずにこの世でうろうろしている浮遊霊が高級霊を装っている場合はあの世からのメッセージと勘違いする人たちもいらっしゃるでしょう。
私たち人間が個々で設定した学びの妨げになることがありますからね。
>カズコ先生には、良き理解者?アドバイザー、ソウルメイトとまで言われている現在の素敵な旦那さまがおられて、さらに霊界にも以前の旦那さまがちゃんとおられて、その気になれば交信も出来るのでしょうから、何を寂しがる必要があるのでしょうか?
ツインソウルの今の旦那はとっても大事な人です。はい、色々とスピリチュアル面では私よりも何倍も何十倍も霊性的にも尊敬する人です。
今回の私のプライベートのことを話すことで、多くの方で死別という体験をなさった方が、その死別を乗り越えて行くときに、辛いのはいくら霊能者として生まれた人間であってもあるということが言いたかったのです。
年から年中、寂しい、寂しいなどと言っていませんし、その寂しさが分る方は私と同じ体験をした方です。私にはその方達が通って来た寂しさが分るからこそ、寂しさの後には、沢山の天からの贈り物もあるのです。
実際に「死者との対話」を私もさせて頂いておりますが、あの世の方、この世の方とのメッセージには愛があります。その愛の中には「寂しさ、優しさ、悲しさなど」が圧縮していると思います。
キリストのたとえ話を書いた著者さんのお友達や知人を私はこの国でご縁がありますが、彼が生きていたときは、泣き笑いの激しい人だったという話を聞いています。本で何を書いていても、それはその人の書いている人物をご自身の都合の良い形にしているだけではないでしょうか。
つまり、自分都合のイメージではないでしょうか。
と、長くなりますので、この辺りで止めますが、私は尊敬されるような人間ではないと思います。自分の天命を果たす為に精一杯な未熟な人間です。すでにイッセイさんは私と共感しないと仰って、ご自身で「卒業します!」と仰って行かれたわけですし、私はまだまだこれからスピリチュアルのドアを開けたいという方達の為にインターネットを通じて、私の体験をシェアーしているだけです。
私はいつも言いますが、長いか短いかの人生の中で一生が学びの世界だと思います。そして、「すべての人が先生ですし、すべての人が生徒だと思います。」
真理の探究者の件ですが、この世に生を受けている人はすべてが探求者ではないでしょうか。それに、達磨が言った言葉で自分が真理の探究者であろうとなかろうと、その悟りを掴むのは、他の誰でもありませんし、それを掴んだからといって、「かくねんむしょう」だと思います。
もしも、私の綴っている文章でイッセイさんにご迷惑があるならば、読むのをやめて下さい。
私にも私の人生での精進がありますので、それを批判されたくありません。それにイッセイさんには申し訳ありませんが、他の聖人達がしたことをすべて鵜呑みにしないことです。それは、イッセイさんの体験ではないですからね。つまり、簡単に言うと、あなたはオーストラリアに行った人の話を聞いて、それをそのまま、あれこれと自分なりの言葉にしているだけです。あなた自身がオーストラリアに行き、そして、あの大きな大陸のどこに行くでしょうか。ある人はメルボルン、ある人はシドニー、ある人はタスマニアなどに行っただけで、オーストラリアを語ることは出来ません。それと同じで、あの世にも段階があります。あの世で修業している人は直接、この世で関わった人とのコンタクトを簡単に取らせません。それは依存するからです。依存すると、強くなれませんし、この世に生きながら、あの世の人ばかりとコンタクトを取ろうとして、自分のこの世での勉強がおろそかになります。
では、本当に長くなりましたが、多分、イッセイさんの満足行く答えはなかったでしょう。申し訳ありませんでした。
良い週末をお過ごし下さい。
ありがとうございます。
[にこっ/][ウィンク/][にこっ/]
kazuko先生、いつもありがとうございます。
isseiさん、お久ぶりです、ありがとうございます。
智慧と知識は、言葉は似ても非なるもの。
知識は本やwebサイトなどから得ることは容易いですが、「智慧」となるとそうはいきませんね。奥深いですね。
今生に生をうけてから経験され、様々な艱難や悲しみを乗り越えることで得られる、愛、奥深さ、優しさなど・・・
私には「智慧」が足りませんので、智慧のある方のお言葉を「心」で感じじるようになれればと思っております。
知識は往々にして裁きの道具にもなり、人の目を曇らせることもありますからね。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。」
PS:先生、掲示板「スピリッチュアル Q&A」はご覧になられました?
ありがとうございます。[にこっ/][にこっ/][にこっ/]
☆Gabriel.M さん、皆様 [ウィンク/]
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
ただ今、掲示板のQ&Aを拝見させて頂きました。ありがとうございます。[にこっ/]
私の智慧など無いに等しいですし、尊敬して貰いたいからとか、崇めてもらいたいとかという気持ちはありません。
ただ、ご縁が出来た方が「目を覚まして欲しい!」という心で精進しております。たとえば、本やネットで美味しそうなケーキのレシピがあったとしましょう。そのレシピを真似て一から十まで同じ食材を用意して、手順も全く同じ料理を作ったとしましょう。さて、その作った人はその写真とレシピ通りにやったのに、美味しいと思うか、不味いと思うかは、その人の感性といえると思います。
そして、まだそのケーキを作ろうと思う人は良いほうでしょう。作る前から、味が違うとか、食材が揃わないから無理とか、どこどこのXXホテルで食べたケーキは最高だったという人もいるでしょう。
人生はモノ作りに似ているか、マラソンに似ていると思います。
モノを作る前から、文句をいう人もいます。
そして、マラソンと例えると走る前から、ゴールの話をしているか、それとも、マラソン用の靴の紐を結んだだけで、走った気分になり、走ったといえるでしょうか。
ネット世界であれば、言葉や用語なんて何とでも言えるでしょう。
でも、言うは易しという言葉もありますしね。
この物質界にいる間しか会えない人(魂)さんたちもいるでしょうから、どこに居ても、何をしていても、死ぬまで学びの世界だと思います。
真理の追究をする為に遠回りしたとしても、近道か茨の道か、どれだけ時間が掛かったを人と比較する必要もないと思います。
自分のカルマの清算、そして、プラスのカルマを作る為に行う精進などもありますが、私はロボットではありません。人間とロボットの違いは「涙」というのが作れるかどうかどと思います。
その涙は浄化の涙、悔しさの涙、悲しみの涙、嬉しさの涙、慈しみの涙、恐怖心から来る涙、愛おしさから来る涙などがあるでしょう。
肉体を持っていなければ、この涙を流すことが出来ないと思います。
涙を流すことで、言葉は交わさなくても分ることもあるのです。深い悲しみを体験して、人によっては涙も出てこないときもあります。泣きたくてもなけない、もう、涙も枯れてしまうこともあるのです。
何回も悟って喜怒哀楽の激しい白隠和尚なども、不摂生に大酒を飲み、弟子を殴り、気性の激しい人だったりしたという話です。
でも、たとえ話やその人の由来の話はどう変化するかは分りません。
知識と智慧は違います。
智慧は私たちがこの世で生きて行く際に、少しでもその道を通り易くする為に、理解することが出来るでしょうが、決して、エスカレート式に霊性が開花することはありえません。
そして、霊性が開花したからと言って、ロボットみたいに感情を押し殺してまで生きるスピリチュアリストはいないと思いますけど・・・。
と、ガブリエルさんもお父様との事を文章に書く際に勇気が行ったと思います。誰も知らないガブリエルさんですが、誰が読んでいるか分らない世界のネットでご自身の愛した、今でも思い続けている方の「死」のお話をするのは、今は平常心でも書いていて過るものです。でも、それを書くことで、自分の中での各火山みたいな何かが、沈下していくこともあるのです。
他の皆さんもそんなやるせない思いがあれば、書いて下さい。
書くことで、私からはお返事はしないかも知れませんが、同じ思いをなさった方達が必ずご覧なっていると思います。
愛する人の死別はあの世に行けないでいる未浄化霊の方にとっても、そして、この世に生きている人たちにとっても、必ず、気づきや学びになると思います。
いつも読んで頂きまして、ありがとうございます。
ありがとうございます。
[にこっ/][ウィンク/][にこっ/]
昔から人情味を優先させる先生ですから、今の私がいるわけです。ですから、たまにお疲れになったときなどにお見せになる人間らしい弱さのお姿に心が痛まないことはありませんでしたし、
この度も、卒業したと言っても、ついついお元気になっていただければと、また怒られるのをのを承知で書きましたが、余計なことと思われても仕方がないでしょうし、怒られて当然だと思います。
先生のお答えには、大変満足しています。
結局、私のためになってしまった書き込みには、お詫び申し上げます。
〜経験していないことを、鵜呑みにして、自分の言葉にかえて語る。
これは昔から、私の最も警戒して、自戒として強めています事柄です。
自分が経験していないことを、そうだとか、こうだとかいう断定的な言い方にしないよう、読み手が判断するよう、いつも気を付けていますが、今後それ以上に注意するようにします。
好きな人を愛したり、身近な人を思うのは善人であろうと、悪人であろうと当たり前のように皆やっています。
しかし、思わなければならない人たち、存在たちが世界に無数にあることに気づいた人たちはどうすればいいのでしょうか?
昔からの動物や人間たちの潜在的な習性としても、一人を愛し、情けをかけ、気に入る者や、身内を、情がうつっているからと、自分の立場からと、ついついひいきしてしまい、関わりのない対象には関心を持たず、不快な思いをさせたり、犠牲を強いさせ続けているのが、この世界に生きる人たちの逃げられぬ構造と仕組みではないでしょうか?
一人や特定の人間に慈悲でなく、情けをかけたら、他に愛さなければならない人たちや生命たちをその瞬間から、犠牲にしているのではないでしょうか?
先生の仰る通り、私は自分の身の回りの人より、カルマのせいとはいえ、苦しんでいる人たちや、生物を沢山知ってしまいました。
知ってしまった限りは、偏った愛の行使は、それ以外存在の犠牲の上に成り立っていることを思えば、全ての存在に平等に与えられる慈悲を学ばなけばなりません。
先生が良いとか私が悪いとかの問題ではないと思って書き込みましたが、
どうやら私も偏った思いを巡らせ、先生以外の存在に目を向けていませんでした。
難しい道のりです。
ありがとうございました。
☆イッセイさん
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
本当に森羅万象や真理を追究するのであれば、個々の魂の為に目をつぶることもありますが・・・。キリストでさえも、そうしましたけど?
と、言っても、体感!共感!など人によって感じ方も違います。
>先生の仰る通り、私は自分の身の回りの人より、カルマのせいとはいえ、苦しんでいる人たちや、生物を沢山知ってしまいました。
もしも、知ってしまいました!と断言出来るのであれば、ご自身で活動して下さい。別に他の霊能者で頑張っている方達を自分のやるせなさのレベルに道連れにしなくても良いと思います。
イッセイさんが、したいようにすれば良いと思います。
自分がすべての真理を理解しているのであれば、もう、このサイトも必要ないと思います。
りよ子さんのサイトのコメントも読ませて頂きましたが、霊能者の本当の役割を本で読んで学んだ方から、理屈を述べられても、皆さん、個々のこの世での計画があるでしょう。
もしも、ご自身が信じているモノと違い、感性も違うのであろうと思うのであれば、読まない方が良いと思いますよ。読む時間があれば、瞑想なり、沈黙を保って下さい。みつを氏のポエムのように・・・。
私は地道な活動を以前にも申し上げていますが、これからもして行く予定です。
そして、この世に生きていて、「頂点ばかり見上げている人は、絶景をみることは出来ないでしょう!」とアドバイスは必要ないかも知れませんが、こんな言葉もあります!
そして、私が気弱になっていると分るのであれば、あえて、傷に毒を塗りこまないで下さい。私はそんなに強い人間ではありません。
ご自身でそれだけ分るなら、ご自身で活動なさるのが良いと思いますが、人を見下した話方だけはやめて下さい。
感情的にならずに、深呼吸して、現実と非現実を。
そして、ご自愛を。自分を愛せない人は、いくら「愛だの、霊性だの、生物だの・・・」と言っても、ご自身の人格が冷静かつ、愛がなければ、救いたい人や植物や動物なども救えないと私は思います。
ありがとうございます。
[にこっ/][ウィンク/][にこっ/]
カズコ先生、ありがとうございました。<(_ _)>
こちらへは初めて書き込みをいたします。
いつもありがとうございます。
ご縁に感謝しております。
先生のブログやメルマガには、カルマや霊的成長などなど、私にとって馴染みの無い言葉がたくさんでてきますが、同時に、無知な私にも分かりやすい言葉や例えが交わった記事(皆さんのコメントも含めて)なので百科事典のようです。
私は皆さんのように、スピリチュアルな経験、知識や智慧が無く、深い部分での理解はできていないため、話のレベルが違うかもしれませんが、、、
今回の記事を読み、
カルマ解消の為に生まれてきたのであれば、人間の輪の中で生きる工夫をする事が自分のためになる事で、その輪を大事にするから自分も助かり、自分が助かるから輪も助かるのかなと思いました。
それと、辛くて泣くのは嫌だと思っていましたけど、泣いて良いから”泣く”って事が出来て、
楽しいも寂しいも表現して良い行為だから、感情として湧きあがるんですよね?
・・・・なんて事を考えてました[にこっ/]
私なりの解釈なので人には分かり難いかもしれませんね[てへっ/]
こういう事を考える機会をくださり
ありがとうございます[アハハ/]
☆ K-COさん
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
難しいことは私は分りません![にこっ/]
いくらスピリチュアリストとして活躍していても、ヒーラーであっても
自分の感情を押し殺してまで、生きることはないと思います。
それに、私自身はハッピーモードを少しでもおすそ分け(沢山ありませんが)しながら、消えそうな提灯役として、先を歩き、道先案内人ぐらいに思っておりますしね。
涙は心の汗だったり、宝石だったりすると思います。[ウィンク/]
泣きたいときに、泣かないままでは自分の感情を無視したことになります。もちろん、そんなことが出来る人はこの世には微々たる少人数でしょう。その時の感情を素直に良い意味で出すことは、後々シコリになりません。どんどん、涙を流し、心を浄化しながら、今日も有難う!と思える日で過せると思います。
良いこと、悪いこともすべて学びです。
ありがとうございます。
[にこっ/][ウィンク/][にこっ/]
カズコ様、Gabriel様、
ありがとうございました。[にこっ/]
これは15年ほど前のチャネリングですが、心臓移植や人間の体の一部をドナーカードを持って、他人に移植する必要など無くすることは医学的には可能であるが、そうなれば人間が人間であるという証でもある情感というものを失うだろう。
それは、人間が命に対する愛を喪失し、個々の命に対しても愛を持つ必要がなくなる。
それはつまり、人間が無機質化してしまうことになる。心を失うことだ。パーツを創って痛んだ部分を取り替えるという治療を決してしてはならない。
それは大変悲しいことだから、今地上界に存在する人間が人間のパ
ーツを創ってはならない。
人間は、肉体を持ち、感情を表現できることが人間としてあるべき姿なのだ。
情感を失ってはいけない。決して、人間がパーツを創ってはならない。
というようなメッセージを受けました。
どのように意識が進化しようとも、人間は感情があることは、必然であり、むしろ、それを喪失してはいけないということです。
泣けること、笑えること、悲しむこと、寂しがること、全てが
人間としての営みであると。私はそう思います。
お誕生日に最愛の人のお命日は、やはり寂しいですね。
お察し致します。
☆りよ子さん
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
私も人間に喜怒哀楽の感情がなくなってしまっては、ロボットと同じだと思います。どんな人でも心があるように、霊能者として生まれていようが、この感情という心はなくならないと思います。
もし、その心を無視してまで、お勉めをせなばならないとなると、やはり無感情で人間身のない、お人形かやはり心の無いロボットだと思います。
心の温まるチャネリングのお話をありがとうございます。
ありがとうございます。
いつもお気遣いをありがとうございます。
ありがとうございます。
[にこっ/][ウィンク/][にこっ/]
いつも勉強させていただき、ありがとうございます[にこっ/]。
そうか、それなのかー[ほうっ/]と自分なりに知りたかったことに気がついたり、余計にわからなくなることもありますが[目が/][パンダ/]、わかったらもっと大きくなれるんだろうなあと、いつも感じ入ることばかりです。[アハハ/][アハハ/]
結局すなおが一番で、頭ばっかりじゃなくて体も使わないとなんにも
わかりっこないということですね?身をもった苦労を知るように、勇気をもって行動できる人になりたいと、改めて思いました。そうすれば、「神様」とか「慈しみ」、「ひとよし、われよし」ももっと素直に理解できるようになるのかな、とも思いました。わたしは、知識は少ない割に、頭でっかちの臆病者だから。それと、怠けもの。
本当に申し訳ありません。
星の数ほどの、経験と、努力の先は???
はじめの一歩、できるかな・・・[いやー/]
カズコ先生は、ご自身のお辛いことを私たちのためにオープンに教えて下さる。本当にすごいなあ、と思うばかりです。本当にありがとうございます。私も、親兄弟ときちんと向き合うことは難しいけれど(難しいと思うのはエゴなんですよね[涙/])、すこしずつ進めていけるようにしたいです。夫の親兄弟とも時間の許す間に。せっかくのありがたいご縁なんですものね。
ありがとうございます![にこっ/][にこっ/][にこっ/]
みんなをすきになりたいです。
ありがとうございます。
乱文おゆるしください。
☆ココロコロさん
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
読んで頂き、ありがとうございます。
私も人間ですから、霊能者だからすべてを霊能力を使って解決することは
しません。前夫の死、母の死、そして、父の病気にて、他の家族との業の解決を避けても最終的には解決しなければならないと思います。
本当はいつもの調子でギブ、ギブと兄家族に「良いよ!」といつもながらと同じにしたいのですが、そうなると父が亡くなった後に彼らの成長にならないと思うこともあります。みんな大人なんだから、人任せにしないで欲しいと思うのですが、母が長男を崇め過ぎて、面倒なことがあると、わたしになるところは日本に住んでいれば、それでも良いと思うのですが、海外から毎回、飛んで帰っているので・・・。
でも、こんな理由がないと、日本に帰ることがありまりないかもと思います。父の意思を尊重するのが一番だと思うと、もしかしたら、死ぬまで家に居たいという可能性が大でしょう。なんとか、日本語が話せるというだけで、日本の田舎のシステムを理解していないのと、難聴者の父と話すときに大きな声で話さないといけないので、疲れるだろうなぁ〜!と思っております。[涙/]
はい、シェアー出来て嬉しいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございます。
[にこっ/][ウィンク/][にこっ/]
ご返信いただいてすみません。ありがとうございます。
日常の、とても身近に感じるお話で、なぜだか励まされました。
私も渦中に身を投じるのを恐れずがんばります。(言うは易し)[いやー/]
以前、キリストの生涯について、少しばかり思いめぐらせた時期がありました。キリスト自身の苦しみはもちろん、私は、息子の苦難を受け入れたマリア様の、想像を絶するであろう悲痛はどんなだったろう、マリア様の思いを知りたくて仕方がありませんでした。そんな中、偶然(?)見つけたアガサ・クリスティーの「ベツレヘムの星」という短編にヒントが書かれてありそうだったので、読み、何か良く分かりませんが、「信じる」ことをすこし学んだように思いました。
また、先日、偶然カーラジオで聴いた、クリスティの言葉で、「さんざん打ちのめされ、打ちひしがれた人生だけど、私はやっぱり人間でいることが好き。」 これを聞いたとき、胸の辺りがじわ〜っと温かくなりました。
もう一つ思い出したのは、夏目漱石の言葉でした。死後、また人間として生まれたいか?と訊かれて、こう応えたそうです。「この胃袋さえ丈夫にしてくれれば、甘んじてもう一度この世へ出てくるね。」 胃潰瘍で亡くなるような人生だったのに。作品の底辺に鬱としたものばかりを感じていた私でした。漱石のこの言葉を知ったときも、あれ?と何か気持ちが変わったのを感じました。本当にうれしい気持ち、ありがたい気持ちがした瞬間でした。
泥まみれ、汗まみれ、血の涙、などなど。それらを知ったほうが、本当の幸せのような何かを見つけられると思っていいんですね?
また長々とすみませんでした。
書かせていただき、ありがとうございます。
せいぜいひよっこの私、これからも、たくさん学ばせてくださるよう、
お願いします。
本当にどうもありがとうございます。[にこっ/][パンダ/][にこっ/][こぶた/][にこっ/]