善い行い 

スピリチュアル☆

163:350:263:0:0:kuchi:center:1:1:ローマ 『真実の口』  ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
さて、ここ数回にかけて綴って来た内容はキリストの教えでした。
キリストの偉大な教え、そして、お釈迦様も素晴らしい教えを残して頂いております。
どちらも言葉は違いますが、やはり最終的な「解脱」「悟る」ことを教えてくれています。
今日は仏教の教えの中に「善い行為」というのがあります。
私たちは常に身と口と意(こころ)の3つの行いを清めることを心がけなければならないのです。身の行いを清めるとは、生きものを殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さないことです。口の行ないを清めるとは、偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。意の行ないを清めるとは、貪らず、怒(いか)らず、よこしまな味方をしないことです。
文章で読むと簡単に思うでしょうが、いざ、今の現代社会で世知辛い、この世の中で生活していると出来そうで出来ないかも知れません。
人によっては、毎日、不平不満の塊の波動を会社や家庭でも撒き散らし、周りにいる人たちを不愉快にしてしまっているが、本人様は周りの人たちを見下げ、自分のことが理解出来ないのは分かる能力がないか、分ろうという能力がない、頭の悪い人たちだと思っている人を見かけます。
さらには、お嬢様育ちで日本の流行言葉で言えば、セレブと言われている人たちは、これから更に拍車をかけて格差社会になっている中、ネール、髪型、洋服、バック、靴などの外見的なことに重要視している様子です。
海外でセレバティと呼ばれる人たちはパーティ以外のプライベートの時間に、リカちゃん人形みたいに綺麗にしている人はあまりいません。
テレビでソウシャル・ガールと呼ばれている人たちは、自分の地位を活かしてチャリティ・パーティとかしているのは確かです。
裕福であれば、その分をすべて自分の銀行口座に納めておかなで、その10%でも、20%でも、他者の為にお役に立てる行為をすることで、陰徳に繋がる「宇宙貯金」が出来るでしょう。
仏教では、お寺などにお布施という形で還元することがありますが、キリスト教であれば月収の10%を教会や恵まれない人たちの団体に寄付する形が一般的です。
俳優のポール・ニューマンさんなどは、これまでに200億以上を寄付しているそうです。
寄付という形では満足しない方などは、現地に出向いてボランティア活動をしているセレバティも少なくないでしょう。
お亡くなりになっても、今だにファニーガールで華奢な身体でお声もハスキーで永遠のかわいい女優さんだったオードリー・ヘップバーンさんは、自分の名誉があったから、人々にご支援して頂き、アフリカの飢餓で苦しむ子供達の為に頑張っていらっしゃいました。オードリーさんが華奢なのは、戦中に栄養失調で食べる物もなく、生死をさ迷ったからだとある記事でコメントしていらっしゃいました。
やはり、ご自身で辛い体験をなさっている方は、「人よし 我よし」の精神でいらっしゃるでしょうから、芯が強い方が多いのが特徴でしょう。
昨日はキリストの教えの中でも「執着しない」ことを綴りました。
さて、今日は仏教の「善い行い」のたとえ話です。
『 昔、ある金持ちの未亡人がいた。親切で、しとやかで、謙遜であったため、まことに評判のよい人であった。その家にひとりの女中がいて、これも利口でよく働く女であった。 あるとき、その女中がこう考えた。
うちの主人はまことに評判のよい人であるが、腹からそういう人なのか、または、よい環境がそうさせているのか、一つ試してみよう」
そこで、女中は次の日、なかなか起きず、昼頃にようやく顔を見せた。主人はきげんを悪くして、なぜこんなに遅いのか」ととがめた。
「一日や二日遅くても、そうぶりぶり怒るものではありません」とことばを返すと、主人は怒った。
女中はさらに次の日も遅く起きた。主人は怒り、棒で打った。このことが知れわたり、未亡人はそれまでのよい評判を失った。』

このたとえ話は、だれでもこの女主人と同じであるでしょう。環境がすべて心に叶うと、親切で謙遜で、静かであることが出来ることでしょう。しかし、環境が心に逆らってきても、尚、そのようにしていられるかどうかが問題でしょう。
自分にとって面白くなく、耳が痛い言葉が耳に入ってくる時、さらに、相手が明白に自分に対して、敵意を見せて迫ってくるとき、衣食住が容易に得られないとき、このようなときにも、私たちは静かな心と善い行いを冷静に出来ることでしょうか。
環境がすべて心に叶うときだけ、冷静で静かな心を持ち、善い行いをしても、それは、決して善い人とは言えないでしょう。
ありがとうございます。

幸運体質になりたい人は食を見直そう ♪

スピリチュアル☆

6.7:200:150:0:0:NONALNUM-A4B4C8D3:center:1:1:感謝しながら 「いただきます!」:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
いや〜!昨日のアメリカ大統領の急変ぶりには思わず笑ってしまいました。地球温暖化問題でアメリカと豪州が拒否して来ている間にどれだけの自然破壊があったかと思うと悲しいものですが、欧州に圧されて、「これからは、アメリカ合衆国が率先して地球温暖化を防ぐ為にも・・・云々・・・」と言っていました。何はともかく、大国の参加は地球の為によしとしましょう。
しかし、21世紀になってから7年が経ちますが、霊的な追求を求める人、そして、このニューエイジになっても物質主義や拝金主義の思想が優先していることで、地球に様々な不幸現象を巻き起こしているかもしれないことに気づかないといけないでしょう。
ここ最近の不思議な事件は悪想念から発した不幸現象と言えるでしょうか。
ここ最近は性の乱れ、不倫、家庭内外の暴力、少年少女の不純異性行為、自殺、無気力感、孤独感、精神障害(躁鬱病、神経症、自閉症、精神分裂病など)、さらに、天変地異、汚職、戦争、争い、経営不振、経済破綻等は、過去から今に至る間に何事も規制がないが為の連鎖的に起きて来ている、悪循環からの現象です。
さらに、魂の病気である「生活習慣病」も、現代人の身体と魂を蝕んでいます。
ここで少し前に書いた「菜食の薦め」と今日のトピックは繋がっているのです。
私たち人間は多くの動物たちを殺し過ぎました。こうした動物からの怨念が「肉を喰った報い」であり、様々な不幸現象を齎していると言えるでしょう。
インドのヒンズー教徒は肉を食べる人たちと一緒に居たいと思わないそうです。インドでも裕福になるとお肉を食べる人たちが増えて来たそうですが、基本的には殺生はしないで自然の恵みからの食を取っています。話を聞くと、食堂などでも「ノン・ベジタリアン」と「ベジタリアン」の席に分れて座らなければならないそうです。つまり、喫煙席と禁煙席みたいなものでしょうか。
日本も明治維新頃からお肉を食べるようになったでしょう。戦中は米一粒や豆一個の有り難さを実感していたお年よりも亡くなってしまって、食事を始める前の感謝の言葉「いただきます」食後の「ごちそうさま」というのも言わないでテレビを見ながら食べるお宅も増えて来たそうです。
性の乱れと食の乱れは似ているのではないでしょうか。
裕福な女の子達が高級バックが欲しいが為に見ず知らずの中年男性と数時間を共にする行為、これは大人の男性がきっちんとしていないが為に起きている問題でしょう。
性欲を満たすだけの行為は動物達に似ているでしょうが、動物達には周期があります。子孫繁栄の為の行為であって、性欲だけの為ではないでしょう。
人間はさるの進化の賜物ですが、さるは肉食ではありません。
いつ頃から、人間は他の動物を食べるようになったのでしょうか。キリスト教徒は肉食は許可されていると聞きますが、キリストの生きていた時代はオリーブと塩と粉で作るパンを食べていたはずです。
この地球上で、私達人間だけが、他者の生物をコントロールして生きているのではありません。人間は自然と調和し、自然と共に生きる必要があるでしょう。人間が自然の中で生きていく時に、自然を破壊するのではなく、自然と共に調和を保ち続けて生きていく必要があるでしょう。
この自然と共に調和を保ち続けて生きる思想は東洋思想の中では当たり前でした。
「自然と共にある」という考え方です。

今では、西洋思考の方が素晴らしいという傾向があるのか定かではありませんが、何かにつけて、コントロールし、管理する考え方が根付いて来ております。昨日のお釈迦様のたとえ話の食卓では鍋を囲んで一緒に食べる習慣は西洋人では理解出来ないでしょう。一緒に食事をする際に、個々のお皿に同じだけ盛って貰って、ナイフとフォークで食べる人たちですから、日本やアジアで食卓を囲むと真ん中に土鍋で人のお箸がその鍋をくぐるだけで駄目だというアジア通でない人であれば、食べる気持ちも失せるようです。
これは、食べ物だけに限らず、お風呂でも同じでしょう。日本人であれば温泉に裸で入る行為は当たり前ですし、共同の場所であれば出来るだけ他の人の為に綺麗に使うように気遣うでしょう。
この東洋的な思想の中には、自然と共にあるという、優れた智慧があります。この智慧こそが日本人の生活の中で、これまで正しく機能していたのですが、この20年前ぐらいから、欧米化の波に巻き込まれた為に、古来より大事に受け継がれた日本人の智慧は忘れ去れようとしています。
以前、肉嗜好になっている霊能者さんと食の話をした際に、「ちゃんと蛋白質を取った方が良いのでは?」と言われました。そのときに私は「大豆や豆類からとっているし、魚は頻繁に取らないけど、魚介類は食べています。」と言うと、「それでは蛋白質が不足するから豚肉を取った方が身体の為にいいよ。」と言われて驚きました。
私がお会いしたことのあるスリーランカ人の僧侶さん達は肉などは一切口にしていませんが、身体も大きく筋肉もあり、びっくりしたことがあります。
日本でも禅のお坊さん達は菜食主義です。
この地球上で一番多い哺乳類の生き物は人間なのです。他の生き物はテレビや車など保持しておりません。土地も保持しておりません。コアラと人間の数を比較するとコアラの方が少ないのです。コアラも絶滅するかも知れません。どうして、人間が他の動物の居場所まで保有する必要があるのでしょうか。
東洋思想は「自然と共にある」という考え方でしたから、自然を破壊することなく、そして、動物の命を奪うことなく、自然と共存していく思想から生まれたものでした。
「人よし 我よし」の考え方から離れて行っています。自己を中心として「自分だけが」という西洋流の考え方が現代に起こる事件の元凶だと言えるでしょう。
この「食の乱れ」というのが大きな原因になっているのです。これまでも、食の見直しは指摘され、食が乱れれば、必ず身体は病気になるというのは、世界的に証明されています。
海外で活躍する多くの歌手や俳優、アーティストなどの多くは、4つ足の動物を食べません。
しかしながら、日本人は食の乱れを気にするよりも、未だに飽食と美食をすることが優雅だと錯覚しているのでしょう。
この食の乱れは肉体だけを蝕んでいるのではありません。精神も病み、魂は穢(げが)れ、霊的には益々低下しています。魂が穢れては悟ることも出来かねます。
霊的な質が落ちれば、当然、霊的波調も低級化し、空中に浮遊する未浄化霊の唸(ねん)や、地縛霊の唸を被り易くなり、こうしたものに波調が同調します。こうした事が起因して、肉体の病気ばかりではなく、霊的に向上出来ないままで死に至るでしょう。
幸運体質になりたいと願うのではあれば、自分達の生まれた土地の食べ物を取り、その土地の霊気を受けて、それを食べることで大自然のお陰を貰うことで、活力的に生きていけるのです。
古来から受け継いで来た素晴らしい日本語の言霊を使いましょう。
食事の前に合掌して「いただきます」という言葉、この「いただきます」は、食物から「命を頂いている」から「いただきます」と言うのであって、人間に代わって、その命を投げ出した食物に対しての感謝の意味を現わした言葉であることを忘れてはなりません。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

 

霊 ☆ スピリット ☆

スピリチュアル☆

20.4:350:263:0:0:DSC00906:center:1:1:アニマル・スピリット:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
さて、以前に憑依について書いておりますが、もう少し簡単に現象について教えて下さいというメールが何件かありました。本当は意識し過ぎないのが良いのですが、参考の為に書き出してみたいと思います。
色々な霊が存在しておりますので、霊と言っても、捉え方は様々でしょう。霊とは人の肉体のない状態だけですから、見えない人と言えるでしょう。
肉体がない分、3次元の法則に囚われることなく、時間の観念がないのも特色です。ですから、何百年もそのままの姿で居たりするわけです。
霊の中には、大雑把に高級霊、低級霊(未浄化霊)として、日本では格付けがなぜかあります。
それは、生きていた時の善徳か、悪徳かなどで判断でしょう。
人に感謝されるような行いをして生きた人は、高級霊の部類に入る可能性があるのでしょう。
また、人に限らず、ペットをはじめとする動物や自然界に存在する精霊。精霊達の存在も貴重です。
昔から霊に憑かれたという話しを耳にすることもあるでしょう。
先祖霊などが供養を求めていたり、成仏を願っていたりしている場合や亡くなった当時の気持ちと同じような気持ちを持っている人にすがったり、世間に恨みを抱いていた人は意味もなく、死に追いやろうとしたり、強い感情(怨念、嫉妬、羨望など)を抱いてた人は、原因となった個人やその家系に苦しみを与えたり不遇な事故で突然亡くなった霊などは、死んでしまったことを知らない者も見えない世界では存在します。
気づいて欲しくて憑いたり、様々な理由が原因として、障りという現象を起します。
その場合、原因不明の病にかかったり、偏頭痛や突然の事故などに遭うなど不思議な怪現象として起ってきたりします。
では、簡単に箇条書きにて、霊障としてあげられるものをご紹介します。
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●キーンと言う耳鳴りがする。
●おならが頻繁に出る。大便が匂う、黒っぽい。
●いつも身体がだるい感じがする。やる気が全くない。
●突然の発熱。解熱剤を飲んでも、医者で解熱の注射を打っても下がらないような発熱。
●日替わりで場所の移動する肩凝りやひじ・ひざ、手首、足首の関節の痛み。
●部屋の中のあちこちで、バキッ・ガタッと言うラップ音がする。
●道を歩いていて、急に肩や背中が重くなり、二の腕が冷たくなる。
●喉から下みぞおちの辺りの間に、何か詰まった感じがする、息苦しい。咳が止まらない。
●最近、部屋が汚くなっても、掃除をしようとも思わない。ゴミの中に居ても平気である。
●下っ腹が張る (お臍の下の部分)。
●腋の下の前部を押すと痛む。
●やたら眠くなる。いくら寝ても眠気が取れない。生あくびが連発する。
●食後でもないのに、頻繁にケップが出る。
●同じ夢を繰り返し見る。
●原因不明の病気が半年以上続いている。
●目つきがやたら鋭くなってきた。
●体のあちこちに、湿疹のようなみみず腫れが出来る。
●自分の意志と裏腹な行動をとってしまう。
●何も無いところで突然転ぶ。
●急に指先が痛む。
●悲しくもないのに涙が止まらない。
●何かに見られている気がする。誰も居ないのに人の気配を感じる。
●常に肩が凝っている。刺すような痛みを伴う。
●霊を見た。
●最近味覚が変わった。
●突然切れるように怒る。

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子供頃から今までに自分自身の経験と、今までにお会いした方達の症例からのケースです。他にもまだ多くのケースがあるでしょう。いくつか当てはまるようであれば、信頼のおける霊能者さんに、ご相談してみて下さい。
守護霊様や、ご自身の魂からのメッセージであるので、すべて霊の仕業であるとも限りません。
通常は波動、波長で霊とも繋がります。現世で繋がる見える人たちとも波長の繋がりです。波動、波長が下がると未浄化霊でさ迷っている方達に憑かれることもあるでしょうから、出来るだけ、自己を見つめて毎日のストレス、怒り、悲しみ等から開放される必要があるでしょう。とっても簡単ですが、生活の中で小さなことでも感謝しながら生きると波動が上がります。お金も道具も必要ありません。ただ、感謝する気持ちを持つことです。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

苦難は『幸福の門』

スピリチュアル☆

178.5:299:350:0:0:pic3:center:1:1:やっと、描き終えた「女神サイキ」 :
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
私はこの世では適職としてサイキック・カウンセラーを長年しておりますが、肌に合うのは芸術面の筆やペンを使った仕事かも知れません。でも、芸術面で食べて行けるほど才能はないのですが、精神統一修業にはもって来いの1つの修業だと思います。絵が上手い、下手とかよりも筆と息遣いによって自分の心の状態が分ったりします。
さて、去年、今年、ここ最近まであまりメールでも電話でも話しをしない人から相談を受けた。
その人は「先生の鑑定結果の通りに万事が運んでいるから、こんなことになるなんって思っていなかった。」と、今年の運勢の結果へのクレームらしき表現にも取れる感情的な内容であった。しかし、占い鑑定とは?霊視鑑定とは?その時のその人のバイブレーションから想定することもあるし、占いなどは統計学だから、当たるも八卦、当たらぬも八卦という天気予想と同じだと思います。
その人は結婚を前提にしていたが、状況がおかしな転回になっているので、鑑定結果と違うと言いたかった様子だが、それより前に、この世に転生しているすべての人は生を受け、その後、赤ちゃんから子供へ、そして、大人へ成長して行く過程が必ずある。自然界の木でもそうだが、いちじくの木は冬になると葉っぱが落ちる。そして、春になると新芽が出て来る、そして、いちじくの実がなる。
これはキリストの教えだが、「成長の法則」というのがある。
毎日の生活で起きる出来事はヒンズー教でいう「カルマ」とは関係ないこともあるのです。すべてをカルマだとか業だとかと言って、自分の周りで起こる出来事を対処しないでは、成長もないまま「死」に近づいていることに気が付かないといけません。
この地球上に存在するすべてのモノには誕生、成長、死というサイクルから逃げることは不可能です。
その地球上で「あらかじめ運命づけられている」という言葉の意味の中には、自分自身の様々な才能を取り上げているのではなく、「あらかじめ運命づけらている」のは、誕生、毎日の時間の経過による個々の成長、そして、死に至るまでの間のサイクルを意味しています。人生そのものはこの成長の法則の範囲であれば、私達の自由意志でどのようにも自由に創造出来るのです。
この過程の中で他力本願では学びも少ないことでしょう。
ですから、その人には、鑑定結果が素晴らしい内容であったにしろ、それは過去の鑑定結果の内容から今に至る際に、占いの結果など気にするよりも、本当にその人を愛しているならば、冷静になって、霊的な意味での愛であれば、「覚悟」を決めて誠意を見せるしかないだろう。男と女の恋愛関係は心変わりをするのは当然なことである。この世に転生しているすべての人に大なり小なり因縁で繋がる男女関係で連れ添ったり、別れたりするものです。
占い師や霊能者が告げた結果はスポーツのコーチ役ほどの裏方の役目です。スポーツをする本人次第で速く走ることも出来るでしょう。
それが相手がいての問題であれば、それだけ解決する問題も大きいかも知れません。占いの結果を云々よりも本人同士の方がその場での言葉や行動のやり取りがどうなったか、自分で内省して過去を振り返って見る必要があるはずです。
スピリチュアルから遠のいてしまって、毎日の生活でも「感謝」を忘れてしまってこの世的な生きかたをして、魔が差すこともあるでしょう。
自分で育てなければならないお花でさえも、管理せずに水もやらず、剪定もせずして、どうして他人を攻めることが出来るでしょう。
健康と同じで「あなたは健康ですよ!」とお医者さんに診断されて、暴飲暴食、さらに運動もせずして、ある日突然、余命はと言われて「お医者さんは健康だと言ったのに・・・」と言っているようなものではないでしょうか。
健康と愛は失って初めて大切さが分るでしょう。さらにこの世でだらだらと生き、突然の死を迎えてしまう時もあります。スピリチュアル・ワールドに帰って、「どうして?」「何がこの私に起きているの?」と悔やんでも後の祭りです。
だから、聖人達は何度も同じ言葉を繰り返して「今を大事に生きろ!」「一生懸命、生きよう!」とメッセージを残してくれている。
この世で繋がる人間関係で問題が起きると相性が悪いからとか、タイプが違う家庭環境だからという以前に、当事者同士が愛していれば、そんなことに拘るのは小さすぎます。
それに世間体での価値観で相手に振られてしまっての屈辱だったり、突然の衝撃であったりして、冷静に考えられないときもあるだろうが、自分のプライドを傷つけられてショックを受けるよりも、結婚などしなくても愛しているのであれば、必ず誠意は伝わるでしょう。でも、エゴで人の気持ちをコントロールして、昨日までこんなに愛し合ったのに、どうして?と言っても、その相手には沈黙でも寂しさなどがあったことを理解出来ないまま、結婚するよりは、好きだけど別れるときもあるでしょう。
人の心は慣れてしまうと大切さが伝わらないときがあります。
ですから、本当に大事だと思う人ほど、大事な言葉を毎日使ってあげる必要があると思います。昔の大和魂の人であれば、「じっと、オレの目を見つめてくれ!」と言って誠意も目力で伝わって来る人もいたでしょうが、最近はお腹に力を入れないで生活しているので、その気力は伝わらないと思います。ならば、西洋式に愛していると一日に何度も言う必要があるならば二人だけの暗号で伝えれば良いと思います。
色々な恋愛、結婚観念は型にはめ込む必要はないでしょう。
鑑定もこの地球の温暖化と同じで「絶対」はないでしょう。

順調に事が運んでいるときほど、周りの人たちに感謝しながら生きる必要があると思います。健康もそうですが、身体に負担が来る前に色々と気遣ってあげる必要があるでしょう。
そして、夫婦であれ、カップルであれ、大事な人であれば、木々と同じでその行為を見せるのが自分であって、裏方であるサイキックなどはアドバイスは出来ますが、その木の剪定まで依頼するのは、マラソンの為に走る靴を用意して、自分は靴は履くが、透明な空飛ぶ絨毯または、漫画のドラえもんのように、お願いばかりして、走ることを忘れているのではないでしょうか。実際に走るのはその靴を履いている人なのです。
その人には、これを機会にまたスピリチュアルな生きかたに戻って欲しいと願います。
そして、障害を越えて、その人と現世でご縁があるならばどんな形でも、時間を掛けても何十年後でも一緒になるでしょう。
見えない力が魂の成長の為の宿題をさせてくれている様に視得ます。
そして、今を大事に生きることを学ぶ必要もあるでしょう。
色々な事を先送りしていた為に、今起きていることは必然的であるのでしょう。
そして、人生の修行は、悪かったことを改め、良き想念を取り込むことだと気づくことが出来るでしょう。こうした折角のチャンスに、他力本願で、安易に誰かのせいにしては、開けるはずの道が閉ざされてしまいます。その後、幸福の門が開かれることでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

見えないモノ、、知らない事を知ろうと思う気持ちが大事  

スピリチュアル☆

9.3:350:263:0:0:DSC00187:center:1:1:偉大な自然に感謝:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
この心霊の世界を一緒に学ぶときに、私は『素人』ですから、心霊の世界を学ばせて頂けるだけでも、感謝ですという謙虚な人は必ず良い導きと共に研鑽出来ると思います。
だって、皆さん『素人』さんですよ。それは、言葉で言うと「し・ろ・う・と」と音読みすると同じでしょう。
この世には私達人間が知らないことの方が多いのではないでしょうか。
日本国内でさえも足を運んだことがない場所も皆さんはあるでしょうし、海外となるとさらには多くの場所もあるでしょうし、民族意識などは雲泥の差があるでしょう。
日本では良いジェスチャーだが、違う国ではタブー扱いされたりすることもあるでしょう。
日本だけの小さなグループにて一番になっても、上には上がいます。
HPやブログで日本人サイトの霊能者さんで男性の方ほど、『悟った』と思っている怪しい人も沢山見かけます。
本当に悟った人ほど、悟ったという言葉を簡単にHPやブログで言わないと思います。
悟りもそうですが、その悟りの手段に繋がる「瞑想」は大変厳しい修業の一つでしょう。
神様とチャンネルを合わせたいと願うのであれば、やはり、自然体で瞑想を生活の中に取り入れる必要があるでしょう。
瞑想が出来ない人は、感謝修業を薦めます。
沢山、感謝の言葉「ありがとうございます」「お陰様でありがとう!」「ありがとう!」等など、良い言葉を書いたり、使ったりして行きましょう。
そうする行為で、多くの気づきが宇宙から舞い込んで来るでしょう。
本当は座らなくても瞑想は出来るのです。 ただ、座る方が集中出来るので、多くの聖人達は座ることでその『空』の世界に突入出来ることを個人、個人で体験する必要があることを教えて頂いております。
また、機会があれば、中級者の為の「瞑想方法」を綴ってみましょう。
あの世の次元とチャンネルを合わせると光を見ることが出来るようになります。
すべて無限の無限の光で、宇宙と一体化出来るのです。
この宇宙と一体化出来る心の状態に持って行くには、無垢な心に戻す必要があります。
大人になって何十年となると、どうしても時間は掛かると思います。
あなたが霊界からのメッセージを聞きたいと望むのであれば、純粋な気持ちで耳を傾けることです。偏見的な気持ちも取り除く、雲の上で寝転がっている映像を思い浮かべたり、虹の上を歩いたりする身体とは別に魂は軽く、羽が生えて来て空を飛べる気持ちを否定しないぐらい気持ち良い意識になると生活も楽しくなりますし、波動も上がるでしょう。
多くの素晴らしい本などもありますが、それを1万冊読んでも、神様の声は聞こえて来ないでしょう。
特に、心霊、精神世界に興味がある人は、それだけでも仏様もキリストも両手を広げて喜んでくれるでしょう。
何十年勉強しても終わりがないサブジェクトではないでしょうか。
だからこそ、生きている間に学ぶ必要があるのでしょう。
最初から聖人の人はこの世にはあまりいません。もちろん、稀に存在しますが、そういった人でさえも大きな十字架を背負って生まれておりますから、学ぶ必要もあり、学んだ後はそれを知りたいと願う人に教えるのも使命でしょう。
キリストには弟子が12名いました。その中で一番疑い深い弟子がトーマスでした。
その弟子はキリストが復活したということをマリアから聞いても否定しました。
「復活したならば、ここにキリストは現れてくれるだろう・・・」と言うとキリストは弟子の前に現れました。それでも、トーマスは疑い、彼のお腹を触れて初めて、復活したことを認めました。その後、彼は当時のイスラエルから一番難関であるアジア方面の伝道を始めたのでした。
疑うことも大変良いと思います。イギリスで私が受けた授業の時に、霊がここにいるということを証明する為にテリー先生の守護霊様を呼び、手を使わないで3人ほどのグループでテーブルを回したりしましたが、誰一人として、悲鳴をあげたりした人はいません。
日常的に霊能者だが、普通に生活している際に、霊さんが「ここにいるのを気づいて!」というお知らせをするのに、電気がピカピカしたり、モノが飛んだりすることもあるのですが、これを気にしていては疲れちゃいますので、時々は無視します。
霊性を開花するには、訓練が必要な人もいると思います。
もしも、あなたがこの地球上で大きな使命があるならば、長い間、沈黙している必要があるかも知れません。昆虫で言うとセミでしょうか、長い間の沈黙が必要でしょう。
そして、本物の師は通常は一人にしか伝授しませんから、その要素がないかどうか分ります。あの世では守護霊様が忍耐強く、見守ってくれています。
そして、この世であなたが開花することになっているのであれば、時期が来ればその人とのご縁が出来るでしょう。
その時期までは、待つ方が良いでしょう。
自然界でもそうですが、何事にもプロセスがあります。
ですから、熟すまで待った方が何事も良い結果に繋がるでしょう。
勉強するかどうかは、個々のレベルで様々でしょうから、最初から難しい本を読んだとしても面白くなく、断念してしまうことが多いでしょうから、「簡単」から心霊知識を学ぶ方が長期的に学べると思います。
まずは毎日を感謝しながら生活することです。
すべて神様が貸して頂いたモノを使用して、私達は生きているのですから、感謝しながら生きると多くの気づきを頂けるでしょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

霊的な生き方 ♪

スピリチュアル☆

18.4:230:173:0:0:pinksora:center:1:1:あなたのこころはこんな色ですか?:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
私達日本人は、戦後の破壊された建物の復興や新たな技術を磨き、民主主義の中で資本主義の景気に左右されながら、私達の両親、祖父母達の人達の観念は物が不足していた時代を体験しておりますから、「幸せ」とは、まずは物質的な豊かさを追求して来た時代だったと思います。
お金が無ければ何も出来ないと言う思考を植えつけられ、御国の為に重労働もして来たと思います。
しかし、私達両親の世代であれば、そのお金でさえも自分の子孫の為に残したいという願いと共に一生懸命に働いて来ていると思います。
年配者の人達は地域でも協調性もあり、その地域に住んでいて健康であれば地域の為に道路を綺麗にしたり、子供達の為に見回りに出かけたりしている地域もあるでしょう。
私も感心したのは一人暮らしをしている年配の父も田舎では「みち直しの日」というのがあります。病気も悪性の癌を抱えていますが、歳が歳なのでいつ死んでもおかしくないのでしょうが、そんな病気で体力もない老人でも、この地域の為に年に数回あるイベントに参加しています。朝早くから5時間ほど参加している様子ですが、川のゴミ、道路の草なども刈ったりする作業は暑い夏であると大変だと思います。
この日に参加出来ない人は小額のお金をコミニティに払わないといけない様子です。年寄り達はお金を払えないわけではありませんが、ほぼ全員が参加する様子です。若い方たちで違う県から来た方たちは参加するのが嫌な様で、小額のお金を払うことが多いそうです。
最近の日本では自分が生まれた場所から田舎暮らしを求める人達も多い様子ですが、ご近所とも距離を置いたり、引越ししてもご挨拶もなし、さらに、町内会費も払いたくないし、ゴミも回収する時間に出せないから、コンビニに行く際に捨てる人もいるというのを聞いて最近の日本人はモラル低下が激しくなっていると思うと残念です。
日本に帰国した際に若い女性はどこにそんなお金があるの?と思うほどゴージャスな海外ブランドに爪は料理などする予定はないだろうし、髪の毛も本当にフランス人形のように綺麗にカールが整っているのを見て、感動します!
外国人で大金持ちでさえも驚くだろう!と思える綺麗さ!
日本におととしに帰った時に京都の鞍馬山に訪れた際に驚いたのは、カップルで男性はアメリカのラップ系のぶかぶかの洋服を着ていて、連れの女性はスーツとピンヒールでした。ピンヒールではこの砂利道は無理では、無謀な人だと思っていたら、似たようなカップルがちらほらしていて驚いてしまいました。
山に登るのにピンヒール?エジプトのピラミッドの中よりも凄い砂利道・・・、怪我をしなければ良いと思ってしまいました。
今のこのアセンション上昇中の間は「霊的に生きるか」「物質的に生きるか」と個々に問われていると思います。すでに1990年ごろには多くのスピリチュアリスト達は本当の意味での霊的に生きることを追求し始めています。1960年代のヒッピーの時代とはまた違う、インドにも行かなくとも霊的に生きることを宇宙よりキャッチしていますから、死んだ時に持って行けない物質的なモノを追求する必要はないと分っていることでしょう。
しかし、大半の現代人が幸福とは想像する際に、銀行に多くの貯蓄があり、不動産という資産があり、豪邸に住み、セレバティと呼ばれる社交界のパーティに明け暮れ、高級車を乗り回し、家にお手伝いを雇い、封建時代のプリンスやプリンセスのような特別な扱いをして欲しいと願い、これらを幸福だと思っているのであれば悲しいことです。
これらの幸福論は実はユダヤ思想だったりします。物質的な生き方が本当の幸福と考え、金銭で世界を支配する経済社会。
つまり、私達の価値観はユダヤ思想を基準にして、金銭という報酬で働かないと大小が頂けません。
しかし、お金や物に捕らわれる考え方は、人間の本来の霊的な生き方から離れて生きることになります。キリストも仰っています。
「この物質世界での享楽に溺れていると、神の国へ行くことができなくなる。お金や名誉、地位、幸せな家庭生活など、私たちは「誰でも入りたがる広い戸口」ばかりを追い求めています。キリストは、神の国に入るためには、むしろ誰もが入りたがらない狭い戸口を選びなさい(=人生の苦労や苦難を喜んで耐えなさい)と教えています。」
通常、私達が生きている間に自分だけの為の豪邸、自分だけの為にという野望を抱いて成功しても、最終的には達成することが無く、多くの人達に恨みや妬みを買ってしまい、最後にはこころも空しく終わることがほとんどでしょう。
さて、私達はこのような物質界の低い次元から一刻も早く解脱し、次のステップの高次元の世界へ向上しなければこのアセンション時代に使命として転生した魂達も無駄骨になってしまいます。
次元が高くなればなるほど欲望が薄れ、自他との境目がなくなってきます。
「自分と他人は、宇宙の一滴の原子と同じ同一生命体」という意識が芽生えます。
これこそが真の意味で「自他共栄」です。「私だけ」ではなく、同じ原子の一つとして他者も共に進化する精神です。
他者と仲良く共存して生きましょう。
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

 
 
 

死んでからでは遅い 

スピリチュアル☆

3:105:95:0:0:kazpink:center:1:1:いつもありがとうございます。:

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
もしも、あなたの言動が誰かを苦しめていたことに気づいたら、あなたはどうしますか?
そして、申し訳ないという心があれば、現世で作ってしまった過ちを来世までにも持ち込みますか?
自分の行動がすべて正しいと思っている人もいるでしょう。
でも、相手は実は言わないだけで、こころに傷を残しているときもあるのです。
人によっては親切心でしたことでさえも、傷つけているときもあるのです。
もしも、その人のことを思うのであれば、その人の為にあなたのすべてを賭けて癒さす為に努力する必要があるかも知れません。
その行為は『償い』という行為として、見返りを求めないでする必要があるでしょう。
言い訳しないで、自分の判断で誰かを傷つけていたのですから、無償で行動する必要があるかも知れません。
もしかすると、相手は許してくれないかもしれません。
でも、あなたはそれに気づいたのですから、自分を正当化しないで、言い訳をしないで、その苦しんだ人の為に償いという行為をする必要があるのです。
たとえば、罪もない人のところへ泥棒に入ってお金を盗んでいたら、その家の住人が帰宅して、驚いたので、その人を殺して逃げた。
そのお金で借金を返して、株で大儲けをして巨大な富を得ても、その人がした行いがばれなければと外見的には豊かに見えても、彼のこころの奥には人に言えない十字架を背負ってしまっていることもあるでしょう。
ご馳走を食べても、高級なお酒を飲んでも、その人が殺した罪もない人を生き返すことは出来ません。
でも、その人は一度得た豊かな生活を手放すことが出来ないまま、心では償いをしているつもりでも、寝ても覚めても、そのときを思い出してしまうでしょう。
償いという行為は、辛く苦しい道のりで死ぬまで逃避することが出来ない自分のこころとの戦いになってしまっているかもしれません。
この償いを本気でするときには、死を迎えるよりも苦しいときもあるだろう。
人間は情という感情が分かるように生まれている。
そして、この世に生まれて来たなら、高貴なこころや使命を持って生まれて来ているだろう。
俗世界にまみれて埃だらけにこころがなっていても、こころのどこかに埃がかぶっていないこころが少しでもあるとすれば、払いのけれないことは無いだろう。
この世でどんな悪行をしてきた穢れた魂でさえも、肉体が無くなってしまっては出来ないことがある。
それは、どんなに人を憎み、許せないと屈折した心であっても、許されないことはないだろうし、癒されないこともないだろう。
まずは自分の非を認めて、償いをするという心をもつ事は見返りがこの世ではないかもしれないが、あえて険しい道を自ら選択しても、得るものが無いかもしれないが、決して諦めてはいけない。
それが簡単に許して貰えなくても、償うという心を学ぶことで人間として生まれてきた人もいるだろう。
『償い』を学ぶことは容易ではないだろう。
でも、諦めてはいけない。
他人はあなたがどれほどの償いしているかを見て、あれこれ言ったり、もう止めたらとか、それぐらいで良いのではと言ってくる人もいるだろう。
でも、あなたが自分で良しとするときまで償いをし続けるしかないだろう。
きっと、その穢れた心から、慈悲の心に光が差すときが来るだろう。
だから、諦めてはいけない。
だって、人間として生まれて来たのだから・・・。
決して、ギブアップしないで償って行こう!
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

必死に生きない ♪

スピリチュアル☆

11.5:350:263:0:0:hk:center:1:1:大好き ☆ 香港:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
中国に老子と呼ばれていた老人がいた。紀元前500年前の話だから丁度お釈迦様が生まれたころになるだろう。
タオリズムの師たちは、『無為』の教えを書き残している。『無為』とは何もしないということだ。仏教でもそうだが、『無』を通じて神様との距離が近くなるという意味らしい。禅の開祖である達磨は9年近くの間、壁に向かって座禅を組んでいた。何もしないで神の力を知ることが出来るのであろうかと思う。
しかし、多くの聖人たちは瞑想という無心なる行為をすることでこころに安堵感を感じている体験から2500年経った後でも、この『無』に対して興味を抱く人も多い反面、物質的なモノを追いかけて必死に生きている人たちの方が圧倒的に多いのではないだろうか。
この『無為』を実行するには今の時代には適当ではないのだろうか。
生活する為の衣食住を満たすには『無為』を実行することは出来ないだろうか。
今の時代にあった『無為』にすることも可能ではないだろうか。
ファッションで着る洋服が時代の流れによって違うように、出来ないことはないと思う。私達は輪廻転生を繰り返して、来世が過去よりも現在よりもより良い生活の為にこの世に生まれ変わったように、この現世にて、私達は色々な意味で学ぶ必要があるだろう。
だから、この『無為』を生活に取り入れることは出来るだろう。
この『無為』には人間の欲望や必要以上に何の為に働く必要があるか考えことになるだろう。
一生懸命に生きることは精一杯生きることだと思う。
しかし、必死に生きることは、何かを犠牲にしてまで自分に抑圧をかけてまでする行為だろうか。
必死になっている人を見ると、ギリシャ人のイソップ物語の「金のタマゴを生む鶏」を浮かべてしまう。最後には大慌てで自分が殺した鶏を生き返そうとする所はギリシャ人の滑稽なところが面白いが、いざ、必死で生活している人はお金持ちになることだろうか、それとも、地位、名誉の為だろうか、必死になることが美徳ではないということは、犠牲にして失ったモノへ代償が時と共に分かるときがあるだろう。
一生懸命というにはマイナスのイメージがないが、仕事でお客様の獲得の為に必死になる、誰かに認めて貰う為に必死になる、人に負けたくないから必死になる行為は煩悩を傷つけているかも知れない。
無理しているだろうから、自己犠牲とも言えるだろう。
しかし、無為は人間に必要な行動だ。トイレに行きたい、買い物に行き、今晩の献立の食材を買って帰る行動は人間であれば必要な行為であろう。
もしも、あなたの生活で必死にならないと生きていけないか考えてみる必要がある。必死になることには、感情が含まれているだろう。
どうして、必死になっているか少し冷静に考えてみる必要があるだろう。
もしも、お金に困っていて、緊急にお金が必要になる約束をしてしまっていたかもしれない。仕事で大きな利益になる顧客を獲得しないと、ライバルに負けるかも知れないという不安もあるかもしれない。
他にも自分が何の為に必死になっているか気づくときが来るかもしれない。
すべての仕事を同時にしようと思うと必死になるときもあるかもしれない。
もしかすると時期でないときに、必要以上のモノを追いかけているから、自分が描いていた通りに事が運ばず、フラストレショーンの心の圧迫で必死になっているかもしれない。
そんなときは『無為』を学ぶことを薦める。
瞑想もする時間がないのに、無などにも興味もない人でも、『無為』の行為を学ぶことは出来る。
何かに執着を持たないこと、何かに抵抗しようと思わないこと、そして、静かな静寂な気持ちを持ち、忍耐の気持ちを持つことだ。
そして、感情を入れずに自然体で目標に向かって進むことだ。
そうすることで、宇宙から贈り物が届く。
必要なモノは宇宙から誰かを通じて、自然を通じて運んで来てくれることを信じることだ。
『無為』の意味は奥が深い、生きていると逆境や息をするにも苦しい試練は誰にでも待っているし、その最中の人もいるだろう。
物事が上手く行っていないときは、登山家が山に登るときの行動と同じように、こちらの道は危ないかな?という直感を信じ、一旦、そこから遠ざかることだそうだ。人生も同じで仕事でも、恋愛でも、一生懸命やったが上手く行かないときは、きっぱり諦める覚悟が必要だ。
何かの行為をするときに、感情を入れないで人生のありのままを認めることだ。
人も人生もコントロール出来そうで、実は出来ない。
何かの行動をするときに、上手くやろうとする必要もないだろう。
無為の行為には人生のありのままを受け入れることだ。
人生など季節と同じで、冬の凍った大地に大根の種を蒔いても芽はならないのと同じで、人生には季節の移り変わりと同じように巡り合せという奇遇なようで偶然はないし、私達は神様という偉大な力の大河の一滴の為のお使いの為にこの世に身体を借りて生きている。豊かな偉大な神様の力。
だから、何も焦ることはないだろう。
森羅万象の背後にいる霊たちの存在を理解するだけだ。
行動するベストな時期がそれぞれにはある。
もしも、いつ行動していいか分からないときは、行動を控えることだ。
現世で行動する機会に恵まれないと嘆く必要もないだろう。
それは、あなたは永遠の魂の存在だからだ。
静かに待てば良いだけだ。
自由に自分がこの世でこなす成長のための課題をやり遂げることだ。
そうすることで、宇宙からあなたのところへ自然な形で贈り物が届くはずだ。
生活の中で上手く行かないときは、時期でないと諦めることを学ぶことで沈黙から学ぶこころの豊かさを体験するだろう。
何かを犠牲にして何かを求めても、それを手に入れたときに、それに注いだエネルギーに見合うモノで無かったと気づくことがあり、がっかりすることは誰にでもあるだろう。それは物質的なモノのをえることで誰かに自慢したいが為に必死になって得た物だから、重荷になるモノをひとつ、一つ、副いで行くことで『無為』の意味が分かるかも知れない。
だから、もう一度、考えて欲しい。
物事が上手く行かず、どうすることも出来ないときは、一度、冷静に立ち止まって見てください。
ちょっと待ってみて下さい。あなたの奥深いところにある何かのせいかもしれません。あなたが欲しいと思ったモノは、本当に必要としているものか?
大きな責任などで何かを犠牲にしてまでも、手に入れる必要があるのだろうか?
もしかすると、それを手に入れる為に、大きなモノを失うかも知れない?と内なる自分に聞いてみることです。
本当に必要であれば、内なる自己が進めと色々な場所でスムーズに行くメッセージを送ってくれるでしょう。
さらに1日という24時間の時間があれば、何もせず、テレビ、ラジオ、音楽も見ず、誰とも話さず、自己のメッセージに耳を傾ける方が本当の意味での『無為』である。
頭で考えずに、静かに過ごすことで『無心』から『無為』は神様の行動に近いことを体感できることだろう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

波動とエネルギー

スピリチュアル☆

24.9:278:350:0:0:DSC00038copy:center:1:1:慈悲愛 キリスト:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
最近、久しぶりに描きたいモードに突入したので描き始めたが、なかなか難しい今回は大きなキャンバスにど〜んと絵を描いているが全然進まない・・・。どうしてよ〜! (>−<)と思ってしまう!
仲良しの友達でピアニストの彼女が音楽を作り、私がそのCDカバーを担当するという話があり、彼女も1年以上経つが「2曲作ったからねぇ〜!」と言った切りで全然進まない様子だ!
私も気合を入れて描いていなかったので同じだ。
周りは凄いピアニスト達がいる。ここで仲良くしているピアニストさんも印税が凄いらしい、今年のユーロビジョンの何とかでマルタ島に出かけたり、ドイツに行ったり、メキシコにも行っていた。
儲ける気がないピアニスト兼コンポーザーで面白い!不思議なほどネコの話で盛り上がるキプロスである。
仲良しの友達もオーストラリアの映画で有名になった「シャイン」(ピアノの天才少年と呼ばれ、一度は精神を病みながら、ハンディキャップを越えて復帰した実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴッドの半生を基に描く感動の音楽ドラマ。)のDAVIDと一緒にピアノをひいたというほどの実力者である。
7.8:115:108:0:0:D111093569:center:1:1:お暇があったら見てね〜!:
私はピアノはひけない、ねこふんじゃたぐらいとドレミの歌とかぐらいだ。でも、音楽仲間は多いのが不思議だ!それも凄すぎるほどの腕前だから胸に響く。
キプロス人のピアニストの女神アフロディテの曲は最高に素晴らしい!聴いた人にしか分からないが感動してしまった!
いちおDVDとCDをプレゼントして貰った。話によると好きな人にしかあげないというので、いちを好かれているらしい。(良かった)
友達との合作は私も彼女も気分屋というか、これを作らなきゃ!いけないというほどに至っていないのが難点かもしれない。
いつか出来たら・・・。どこかで公開する予定ですが・・・。
どうなることやら・・・。^_^
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
今日はこの軽いノリで書いちゃいましょう!
日常生活で出会う人とのご縁は前世繋がりでのカルマの清算もありますが、仲良くなる人とのご縁は「類は友をよぶ」という言葉があるように、自分では気が付かないだけで、外野から見ると意外と似たりよったりのオーラだったり、波動だったりします。
音楽好きな人とサッカー好きな人では話しが盛り上がりません。
ネコが好きな人とへびが好きな人も話しが盛り上がりません。
楽しい波動仲間を探すのは意外と簡単です。趣味や好きなことを通じて出会う人たちはソウルメイトと呼ばれる魂の友達だったりします。何時間話してもまだまだ話が尽きない話が出来る人がいれば、その人とはソウルメイトですから、会った瞬間に懐かしさを感じることもあるでしょう。
ソウルメイト以外でも日本に生まれたが、アフリカに行って懐かしさを感じたりする際はデジャブと言われる現象だったりします。
表面的には似ていない同士も波動や波長で繋がっていることが多いでしょう。
でも、このソウルメイトが集まった仲間グループでも仲間割れが生じることもある。
特にスピリチュアルな話などはシンプルなスピリチュアルの話なのか、それとも研究として集まるかによってはいくら波長が合うからと集めても人が増えず、減って行くこともある。
私の知人はそのスピリチュアルの会らしいモノを発足したが、集まる人たち同士で仲間割れしてしまった。人数として一桁だったがそのことで頻繁に電話が掛かって来た時期があった。
私が直接教えているわけでないので、どんな形で何の為に集めているのか理解し難いときもあった。
スタートのときは彼女なりにスピリチュアルという流行の言葉に釣られて参加する人もいた様子だったが、本当のスピリチュアルを教える為の時期でなかったかも知れない。
集まる人たちは本当にスピリチュアルに興味があったのかどうか定かでなかった。
お茶のみ友達が欲しかったので参加していたのかもしれない。
何かのミーティングの時に小さなグループでさえも誘導する人が上手くないとただのしゃべり場みたいな場所に変化することもあるだろう。
もちろん、しゃべり場でも良いのだが、本当にスピリチュアルを学びたいのに、グループの中で権力(エゴ)の話になってしまっては面白くもないから、次に参加するのはやめたくなるだろう。
その知人も先生みたいに人を誘導出来ず、そうかっと言って、みんなで話すディスカションみたいなやり方をすると決まって我が強い人が小さなグループのうちに数人はいると「私が」という人の話になり、誰もその人に質問していないのに凄いグルのような話になり右も左も分からないがスピリチュアルな話に興味があるがシャイな人だと2時間、3時間と永遠に終わりのない我の強い人の自慢話を聞くことになる。そして、自宅に付いて「あ〜!疲れた!」ということになる。
その後、お誘いが来ても「忙しいから・・・」と返答してしまいたくなるだろう。
スピリチュアルもボタンを掛け間違えるとカルト教の一種になってしまう。
だから、救われたい人がスピリチュアルの会から宗教の信者のようになってしまうことになりかねない。特に男性が立ち上げるこの手の会は「権力」「地位」「名誉」と変化してしまうこともある。
話は動物の例になるが、人間はサルの進化だからサルのグループに似ているかもしれない。
サルは権力のある方につきたがる。
小さなグループの中で「あの人が嫌いだ!」「ちょっと合わない!」となる人物が2人以上いると参加したくなくなる。
いくら同じような趣味の集まりでも、同じスピリチュアルを学ぶ会と題しても、2回ぐらい参加すると分かるが、あの会の主催者は好きだが、あそこに行くと我の強い人が2人ほどいるので気が滅入るから止めておこうとなる時がある。
話しは戻るが、その知人は結局数回でスピリチュアルの会を断念した。
私から見るといくら彼女が素晴らしい教えをしようと思ってもその我が強い人達がその会を陣取っては私も行きたくないなぁ〜!と話を聞いていて思った。
彼女はまだ諦めないと言っていた。彼女には目標がある。
スピリチュアル的な目標ほど出会う人によって大きく左右されるだろう。
いつもマイナスなことばかり考えていると気づくとマイナス思考の人間ばかりで不平不満ばかりを耳にすることになる。
そうなるとその不平不満がどっと「邪気」として蓄積される。
この邪気が見えないエネルギーとして蓄積されると病気になったり、悪い出来事を引き寄せる。
人間は悩む動物だから、考えるとマイナス思考に陥りやすい。
病気になったり、悪い出来事を引き寄せないために「心の浄化」により、マイナス思考を半減出来る。
どうすればいいのか?
とっても実は簡単なんです。「深呼吸」をするだけで良いのです。江戸時代の終わりに「丹田呼吸」という言葉を広めた白隠和尚さんがいました。
その後、大正時代になると呼吸法と言えば、「丹田」というほど一時ブームになっていた様子です。
イエス・キリストの場合は呼吸プラスイメージ法を弟子の12人に教えています。(私も修行中 ヒ・ミ・ツ)
どうして昔からこの呼吸が良かったのでしょうか?
呼吸を深くすると心の安らぎに導かれます。
プラス思考の人やスポーツ選手などもここ一番という緊張するときは深呼吸することで自分らしくいれます。
カバラでは1日に7回深呼吸することを薦めています。そして「自分はできるんだ!」と自分に言い聞かせて明るく進むこと、正しい姿勢や深呼吸や笑顔を忘れないことで幸運を引き寄せる一番の基本条件だそうです。
1日3回ほどのシンプルな深呼吸で良いです。
少しスピリチュアルに興味を持ち始めた人でも、時間がなくて〜と言っている人でも深呼吸をちょっとするだけで考え方や波動がプラスになるならやらないでいられませんね。 (^−^)
是非、神秘性のある呼吸を毎日、3回しましょう!
今度は「プチ・深呼吸」も続編として更新します。
お楽しみに! えっ! 期待していない! ← 自己ツッコミ!!!
でも、ちょっと期待しているでしょう! (^_^)V
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

菜食のお薦め ♪

スピリチュアル☆

29.9:320:240:0:0:DSC00433:center:1:1:Greek Salad:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
ここ数年にてこの「ベジタリアン」だと言っても驚く人が少なくなったように思います。
私達夫婦もベジタリアンです。
私よりも旦那の方が長く10年以上お野菜だけとチーズと卵のベジタリアンだったのですが、ここに住み始めて和風ベジタリアンになりました。
ここの国は海で囲まれていますが、魚をほとんどみかけません。
新鮮な魚とはほど遠い感じは南の島のニューカレドニアに似ているかもしれません。
数年前はここで親類友達が集まるとお肉をガツガツ食べていた人たちも私達の影響かどうかは分かりませんが、昔みたいに頻繁にお肉を食べなくなったというのを聞いて嬉しくなりました。
私も数回にわたりメルマガにてベジタリアンの薦めをしています。
日本人の場合は明治維新あたりから肉食が増えますが、戦中はお米も食べれない時期もあって飢餓でなくなった人たちも多くいます。
お米一粒を大事にしていた日本人のこころはどこに行ってしまったのでしょうか。
私は大の動物好きです。一人でも多くの人がベジタリアンになって頂いたら動物達は私達人間に感謝すると思います。
私が一番のショックを受けた出来事があります。何気なくシドニーで動物園に行ったときに、ミンクの場所に行きました。すると、そこに「このミンクの毛皮を作るのには何匹のミンクを殺して、皮を剥がないといけないのか分かりますか?」というメッセージの看板の横にお母さんミンクと子供達ミンクが引裂かれて30匹以上のミンクを殺した後に煌びやかな高級感の漂うミンクコートが出来上がります。という看板の画像は今でもはっきり覚えています。
一昔のロシアや北欧の寒い場所であれば、現代みたいにエアコンもありませんから、お出かけの際に必要だったでしょう。
でも、これだけ地球温暖化になって特に日本では寒い冬と言ってもマイナス20度とか40度になる場所はないでしょうし、移動する際には車の中で夏より暑いのではと思うほどの場所もあるでしょう。
それはさておいて、皆さんは「牛が泣いているのを見たことがありますか?」以前にも何度かご紹介したサイトがあります。
動物好きな人で、このサイトを見ると今日からお肉が食べれなくなる人も出てくるはずです。牛は生きたまま、逆さにされて喉を切られ、血を抜かれて、それでも意識はあります。
もがき苦しむシーンがあります。牛は泣いています。
小さな命、大きな命は関係ないでしょう。
世界各国で活躍する有名な歌手や俳優さんなどもベジタリアンが少なくないです。
私が好きなフランス人女優のブリジット・バルドーさんなどは動物愛護の先駆けで素敵な方だと思います。
私達人間は少し他の動物より進化が早いというだけで、牛のクローン化や他の小動物を実験などに使う許しがあるのでしょうか。
話はとっても飛びますが、中世期の時期に魔女狩りがあったときに猫も一緒に殺されました。猫は動物の中でも霊が見えますから、霊能者と呼ばれる人たちは猫好きが多いでしょう。古代エジプト時代には神の化身として奉り、その後、魔女狩りの時代にはネコを飼っているというだけで、飼い主が殺されてしまった時代もありました。
私達人間は動物達、植物、空気、ミネナル、水と共存しているから生きていられるのに、いつごろから人間様がこの地球で一番偉い人になったのでしょうか。
欧州のお金持ちなどには、暇とお金が有り余っている人たちはアフリカまで行って象やトラをハンティングしている人たちをテレビの画像を通じて見ると、何か勘違いしているのではないでしょうか?と思うのは私だけでしょうか?
人それぞれに「気づく」時期が違うので、強制はしません。
でも、もしあなたが動物が好きでペットを飼っているなら、そのペットを食べる人が目の前に現れてあなたのペットを奪い取り、美味しいと言って、食べているところを想像してみて下さい。
きっと、泣いてしまうことでしょう。それとも、一緒に食べますか?
肉を食べているのが悪いとか、良いとかの問題でなく。
もしも、共感を持って頂けるのであれば、自分のペットはかわいいけど、牛や豚やヤギは自分のペットでないから関係ないと思うのはやめて下さい。
ご自身の自己満足の幸福ばかり追求しないで、全体の幸福を見て下さい。
もしも、あなたがスピリチュアルに興味を持ち他者の為に地球の為に思う人であるならば、肉食が地球の環境を著しく汚染していることは、ご存知でしょう。
そして、殺された動物を食べながら、片方で神様に慈悲や平和を祈るのは矛盾していると気づくときです。この温暖化にも意味があるのです。そして、アセンション時代には気づいた人から、行動に移して欲しいものです。
共感して頂ければ、幸いです。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

 「菜食のススメ」
20.4:263:350:0:0:DSC00381:center:1:1:テサロニキの市場にて・・・ (>_<):