輪廻転生

11.1:150:231:0:0:hana:center:1:1:おかあさん、ありがとうございます。:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今週末は『母の日』ですね。良いひと時をお過ごし下さい。
ありがとうございます。
私達人間は現世に生まれ変わるとき、過去世を忘れた状態で生まれ変わることが多い、稀に過去世の名前、住んでいた場所、現世にて繋がる人達が誰であったか覚えている人もいるが、通常は産道を通る辺りに過去世での思い出を一掃して、現世にて新生児として誕生することが霊界からこの世に生まれ変わるときの条件として配慮されている。
どうして、過去世を忘れた状態が配慮となるかというと、人間は感情的な動物の延長の進化だから、思い出という感情を忘れることで生きることが出来るらしい。
しかし、輪廻転生を繰り返してこの世に生まれ変わっても、この世の俗世界に染まりすぎて、怠惰になり、何の為に輪廻したか「死」を直前にしないと正気になれないままでぼんやりと生きていては、来世は地球人口が減少しているだろうから、借り物の身体さえもないだろうし、先進国とよばれている国に転生して来る確立は少ないであろう。
死の宣告をされたり、大病を患ったりすると、人は現世でやり残したことが一杯ありすぎて後悔する人も多い。今度、生まれて来たら、もっと人助けをしたい、もっとしっかり生きたいなどと、思い残す期間が与えられる。
仏教では人は死という転機を得て、思い残した課題を現世にて復習の機会を与えられ、そして、再び現世にて生を受け、崇高な魂に近づくためにその時代を生きることで体験と共に勉強が出来るというのが輪廻の原理であろう。
心霊を信じない人は人間は死んだら終わりだという人がいるが、終わりであればどうして霊能者達が一度も会ったことのない人に会い、その人の心の中での葛藤やどこにあざがあるかなど、さらにすでに他界している祖父母の名前を告げることが出来るであろうか。
祖父母達がスピリチュアル・ワールドにいるが霊達は瞬間移動が出来るので、自分のかわいい子孫が路頭に迷っていれば、辛抱強くスピリチュアル・ワールドで見ていてくれる。
そのほかにも他の霊達は個々の課題を達成する為に慈悲深くとも厳しい目で見ながら、余計な邪魔はしない。
大きな慈悲愛には厳しい判断もあることを忘れてはいけない。
霊界にいらっしゃる人達もそうだが、現世で会う人達でも常に優しく相手に手取り足取りというと居心地の良い人間関係ではそこから抜け出させなくなる、常に心が常夏状態でいると、忍耐も精神も強くなることもないまま、我侭言い放題の高慢な人間にならないためにも、ある程度時期が来ると試練を与えて、辛い状況からでも一輪の花の美しさがこころに灯火をつけてくれることもある。
だから、現世で真理を追究したいと願う人は一休みすると新たな課題が待ち受けている。
現世に転生をする際に「怠けますから、生まれ変わりたい」と願って転生した人は稀であろう。だから、人間は輪廻という大きな宇宙空間に生まれ、自分の過去世での償い、過去世での過ち、過去世で恩を受けた人への恩返し、さらにやり残した自分の思いの為、さらに自分を見つめ直す機会を与えられたのであるから、自分で見つめ直し、心の癖も良い癖になるように、努力する必要があるだろう。
現世にて悪行、怠惰をしたツケは必ず自分のところへ返って来るだろう。
そのツケが返って来たときに、自分を誤魔化していては、同じことの繰り返しでいつまで経っても前進出来ないだろう。
人間として魂を持って現世に転生しているみんなが同じように使命を持って、それぞれに修行をしている。
輪廻というのは永遠に過酷な山登りではないのです。
自分のペースで無理をせず、休憩地点もあるでしょうし、決して血を吐きながら自分に鞭で打つ必要もないのです。
頑張った分は必ずどこかから救いのある手を貸して頂けるでしょうし、必ずどこかに救いのある道のりがあるのです。
目指すモノが高ければ高いだけ、過酷な試練もあるでしょうが、極端に無理をすると借りている身体へも支障が来るので、自分自身のペースで長く細く魂を磨く人もいるでしょうし、太く短く魂を磨く人もいるでしょう。
他者が頂上に登ったからといって、焦りは禁物です。
焦ることで本当の真髄を見失うこともあります。
一瞬、一瞬を大事に生きることが出来るようになれば、どんな現状にいても、常に前向きに生きることが出来るでしょう。
現世というときは、一回限りです。
大事に精進を続けて行きましょう。
疲れたら、時々、休んで下さい。
でも、諦めないで自分の決めた山へ登って行きましょう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

霊媒体質の方へ『精神統一』の薦め

霊性

40.6:226:72:0:0:zen1:center:1:1:精神統一:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
生まれ持った霊能者でなくても霊能、心霊、スピリチュアルに興味を抱いている人が一番に心がけなければならないことは、真の言霊には素直に従えるように精神の修行が必要になってくるでしょう。
つまり、この世的な考えにとらわれているようでは、物質的な世界から抜け出れないために、すでに個々にある霊能力を発揮出来ることは困難であろう。
いくら通信霊からの有り難いメッセージが舞い込んでも、素直に従う心がなければ「馬に念仏」と差ほどかわらないであろう。
では、どうすれば霊性が開かれるかと問われると、毎日の生活の中に精神統一をお薦めする。昔のお侍さんは刀を磨く際に精神統一をしたり、お風呂を焚くのに必要な蒔きを割ったり、瞑想をしたりする際に精神統一をしている。
精神統一というものは神秘性はないかもしれない。
私達が日常的にしている歩く行為、食べる行為、呼吸する行為は生きている間は必要であるのと同じで自然な状態であって、この自然な行為を正しくしていれば人間は健康であるであろう。
この「健康」に気を使う国民で一番に思い浮かべる国となると、私は中国である。
中国のお年寄りが凄いと思うのは、朝の空気が澄んだ時間に大挙拳などの運動をしている。この運動は見た目は簡単そうで、ゆっくりな息使いやゆっくりな動作は普段使用しない筋肉を刺激させたりしているらしい。
精神統一してしないとなかなか簡単そうで難しい動作であろう。
私達現代人は毎日の生活に追われている為に、答えがすぐ身近なところにあるのに、わざわざ難しい本を読んでみたりして、単純な作業に対して意味が見出せないでいる。
それは本当は錯覚である。
本当は単純な動作や行動から多くのことを学べる。
霊能力を進化させたいと願う人で本気で考えている人であれば、真剣であろうから、ここで少し心の準備をして欲しい。
精神統一している際は、日常生活の一切のしがらみを取り去らなければならない。
その日の出来事、今抱えている悩み事を考えながらの精神統一は出来ないだろう。そうは言っても、最初からそれは不可能であろうから、少なくとも練習中の時間だけでも忘れて、単純な作業、または呼吸法の最中は統一することが望ましい。この統一を通じて、無我の世界を訪れることが出来るだろう。
最終的には、その境地にて悟り、悩みや想いなども取り除かれ、魂は安らかな安堵感の場所へ行くことも出来る。
単純な作業を一定の時間に出来ないという人は、眠る前の一定の時間に精神統一出来る場所、部屋などを確保して置くことが必要だろう。
椅子や座布団なども同じモノを使用することを薦める。
それは、人間の身体からはオーラが放射されているので、いつも同じものを使用しているとこのオーラが統一に良い影響を齎してくれる。
さて、準備が出来たら、悩みなどは脳から取り除いて、身体も脳もリラックスする出来る体勢になる為に、大きく深呼吸をして下さい。
私が薦めるのはまずは口から邪気を出し、その後、鼻から吸って、止めて、口から吐く、深呼吸を3回、または7回(この7回は霊媒体質の人がすると幽体離脱をすることもありますので、ご注意下さい。)初心者であれば、数回、深呼吸を繰り返して身体の中がクレンジングされて、気分的にもリラックス出来る状態にするのが望ましいでしょう。
最初から、深呼吸を何度も、何度も繰り返すと逆に疲労感を生じることもありますので、要はリラックス出来るほどの呼吸をすることです。
そして、心身ともにリラックスして、いよいよ無我の世界に入ろうと思っても、最初のうちは、雑念や隣の部屋の音などが邪魔をして来るものです。
身体をリラックスさせて、統一しようとすると心臓の音や背中が急にかゆく感じたりするものです。
この段階でやめてはいけません。精神統一の修業の第一歩の段階の試練であり、この程度の修業を怠っていては、霊能力を開花することなど出来ません。
お釈迦様でさえも、大きな滝の中で森羅万象の音を聞けと試されたこともあります。私達凡人が霊能力をアップするには俗世界から離れるのが一番近道だったりします。鳥の音、川のせせらぎの音と共に精神統一をするのが一番好ましいかも知れません。
夜に一人で部屋の中でポツリと座って精神統一をしていると恐怖心が沸いてくる人もいるでしょうから、ご自分の好きな静かな音楽を流すなり、小さなランプの光があった方が安心する人もいるでしょう。
もしも、この練習をやり始めて、リラックスというよりもだるさを感じる場合はやめた方が良いでしょう。それは、そのだるさの状態のままで無意識な状態に違う世界に行ってしまうと、その隙間に悪いエネルギー(低級霊などというときもある)を吸い込んでしまい、自分では分からない悪影響を持ち込んでしまいかねないからです。
初心者の方で自分のやり方が良いか悪いか不安な時は、ある程度修業を積んだ人と一緒にやってコツをつかんでやるのが理想的です。
一日、3分で良いので精神統一出来る時間を作ることから始めると良いでしょう。
今度はある程度、この精神統一が出来たころに心霊的な能力が出てくるとどうなるか機会があれば書いてみようと思います。
いつも書いていると思いますが、霊能力を開花するには焦ることが一番禁物である。
それは、高級霊の振りをして、実は悪質な霊に弄ばれてしまうケースもあるので遊び半分や霊界との交信を取りたい為に精神統一をしても意味がないでしょう。

それよりも霊媒体質であろうと思う人は、しっかりと呼吸法を学ぶことが先であろう。呼吸がしっかりしていれば、不思議な体験をしても驚くこともないであろう。
そして、しばらくは自己探求と共に謙虚に生活しながら、プライベートの時間は出来るだけ俗世界から離れた生活をすることで霊性が磨かれているであろう。
そして、霊能力が開花した後は、神様から授かった能力を有り難いと感謝して、それを人の為に使用することを薦める。
ここで勘違いしてはいけないのは、自分だけが特別な人間だと思ってはならない。神様から霊能力を授かったから自分は特別に神様に愛されていると思ってはいけない。それはエゴであって、本当の慈悲愛ではない。
そのことを理解して頂ければ、幸いである。
精神統一が少し進んでから、次の段階で起るであろう現象もお話して行きたいと思います。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

死んでからでは遅い 

スピリチュアル☆

3:105:95:0:0:kazpink:center:1:1:いつもありがとうございます。:

こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
もしも、あなたの言動が誰かを苦しめていたことに気づいたら、あなたはどうしますか?
そして、申し訳ないという心があれば、現世で作ってしまった過ちを来世までにも持ち込みますか?
自分の行動がすべて正しいと思っている人もいるでしょう。
でも、相手は実は言わないだけで、こころに傷を残しているときもあるのです。
人によっては親切心でしたことでさえも、傷つけているときもあるのです。
もしも、その人のことを思うのであれば、その人の為にあなたのすべてを賭けて癒さす為に努力する必要があるかも知れません。
その行為は『償い』という行為として、見返りを求めないでする必要があるでしょう。
言い訳しないで、自分の判断で誰かを傷つけていたのですから、無償で行動する必要があるかも知れません。
もしかすると、相手は許してくれないかもしれません。
でも、あなたはそれに気づいたのですから、自分を正当化しないで、言い訳をしないで、その苦しんだ人の為に償いという行為をする必要があるのです。
たとえば、罪もない人のところへ泥棒に入ってお金を盗んでいたら、その家の住人が帰宅して、驚いたので、その人を殺して逃げた。
そのお金で借金を返して、株で大儲けをして巨大な富を得ても、その人がした行いがばれなければと外見的には豊かに見えても、彼のこころの奥には人に言えない十字架を背負ってしまっていることもあるでしょう。
ご馳走を食べても、高級なお酒を飲んでも、その人が殺した罪もない人を生き返すことは出来ません。
でも、その人は一度得た豊かな生活を手放すことが出来ないまま、心では償いをしているつもりでも、寝ても覚めても、そのときを思い出してしまうでしょう。
償いという行為は、辛く苦しい道のりで死ぬまで逃避することが出来ない自分のこころとの戦いになってしまっているかもしれません。
この償いを本気でするときには、死を迎えるよりも苦しいときもあるだろう。
人間は情という感情が分かるように生まれている。
そして、この世に生まれて来たなら、高貴なこころや使命を持って生まれて来ているだろう。
俗世界にまみれて埃だらけにこころがなっていても、こころのどこかに埃がかぶっていないこころが少しでもあるとすれば、払いのけれないことは無いだろう。
この世でどんな悪行をしてきた穢れた魂でさえも、肉体が無くなってしまっては出来ないことがある。
それは、どんなに人を憎み、許せないと屈折した心であっても、許されないことはないだろうし、癒されないこともないだろう。
まずは自分の非を認めて、償いをするという心をもつ事は見返りがこの世ではないかもしれないが、あえて険しい道を自ら選択しても、得るものが無いかもしれないが、決して諦めてはいけない。
それが簡単に許して貰えなくても、償うという心を学ぶことで人間として生まれてきた人もいるだろう。
『償い』を学ぶことは容易ではないだろう。
でも、諦めてはいけない。
他人はあなたがどれほどの償いしているかを見て、あれこれ言ったり、もう止めたらとか、それぐらいで良いのではと言ってくる人もいるだろう。
でも、あなたが自分で良しとするときまで償いをし続けるしかないだろう。
きっと、その穢れた心から、慈悲の心に光が差すときが来るだろう。
だから、諦めてはいけない。
だって、人間として生まれて来たのだから・・・。
決して、ギブアップしないで償って行こう!
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

必死に生きない ♪

スピリチュアル☆

11.5:350:263:0:0:hk:center:1:1:大好き ☆ 香港:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
中国に老子と呼ばれていた老人がいた。紀元前500年前の話だから丁度お釈迦様が生まれたころになるだろう。
タオリズムの師たちは、『無為』の教えを書き残している。『無為』とは何もしないということだ。仏教でもそうだが、『無』を通じて神様との距離が近くなるという意味らしい。禅の開祖である達磨は9年近くの間、壁に向かって座禅を組んでいた。何もしないで神の力を知ることが出来るのであろうかと思う。
しかし、多くの聖人たちは瞑想という無心なる行為をすることでこころに安堵感を感じている体験から2500年経った後でも、この『無』に対して興味を抱く人も多い反面、物質的なモノを追いかけて必死に生きている人たちの方が圧倒的に多いのではないだろうか。
この『無為』を実行するには今の時代には適当ではないのだろうか。
生活する為の衣食住を満たすには『無為』を実行することは出来ないだろうか。
今の時代にあった『無為』にすることも可能ではないだろうか。
ファッションで着る洋服が時代の流れによって違うように、出来ないことはないと思う。私達は輪廻転生を繰り返して、来世が過去よりも現在よりもより良い生活の為にこの世に生まれ変わったように、この現世にて、私達は色々な意味で学ぶ必要があるだろう。
だから、この『無為』を生活に取り入れることは出来るだろう。
この『無為』には人間の欲望や必要以上に何の為に働く必要があるか考えことになるだろう。
一生懸命に生きることは精一杯生きることだと思う。
しかし、必死に生きることは、何かを犠牲にしてまで自分に抑圧をかけてまでする行為だろうか。
必死になっている人を見ると、ギリシャ人のイソップ物語の「金のタマゴを生む鶏」を浮かべてしまう。最後には大慌てで自分が殺した鶏を生き返そうとする所はギリシャ人の滑稽なところが面白いが、いざ、必死で生活している人はお金持ちになることだろうか、それとも、地位、名誉の為だろうか、必死になることが美徳ではないということは、犠牲にして失ったモノへ代償が時と共に分かるときがあるだろう。
一生懸命というにはマイナスのイメージがないが、仕事でお客様の獲得の為に必死になる、誰かに認めて貰う為に必死になる、人に負けたくないから必死になる行為は煩悩を傷つけているかも知れない。
無理しているだろうから、自己犠牲とも言えるだろう。
しかし、無為は人間に必要な行動だ。トイレに行きたい、買い物に行き、今晩の献立の食材を買って帰る行動は人間であれば必要な行為であろう。
もしも、あなたの生活で必死にならないと生きていけないか考えてみる必要がある。必死になることには、感情が含まれているだろう。
どうして、必死になっているか少し冷静に考えてみる必要があるだろう。
もしも、お金に困っていて、緊急にお金が必要になる約束をしてしまっていたかもしれない。仕事で大きな利益になる顧客を獲得しないと、ライバルに負けるかも知れないという不安もあるかもしれない。
他にも自分が何の為に必死になっているか気づくときが来るかもしれない。
すべての仕事を同時にしようと思うと必死になるときもあるかもしれない。
もしかすると時期でないときに、必要以上のモノを追いかけているから、自分が描いていた通りに事が運ばず、フラストレショーンの心の圧迫で必死になっているかもしれない。
そんなときは『無為』を学ぶことを薦める。
瞑想もする時間がないのに、無などにも興味もない人でも、『無為』の行為を学ぶことは出来る。
何かに執着を持たないこと、何かに抵抗しようと思わないこと、そして、静かな静寂な気持ちを持ち、忍耐の気持ちを持つことだ。
そして、感情を入れずに自然体で目標に向かって進むことだ。
そうすることで、宇宙から贈り物が届く。
必要なモノは宇宙から誰かを通じて、自然を通じて運んで来てくれることを信じることだ。
『無為』の意味は奥が深い、生きていると逆境や息をするにも苦しい試練は誰にでも待っているし、その最中の人もいるだろう。
物事が上手く行っていないときは、登山家が山に登るときの行動と同じように、こちらの道は危ないかな?という直感を信じ、一旦、そこから遠ざかることだそうだ。人生も同じで仕事でも、恋愛でも、一生懸命やったが上手く行かないときは、きっぱり諦める覚悟が必要だ。
何かの行為をするときに、感情を入れないで人生のありのままを認めることだ。
人も人生もコントロール出来そうで、実は出来ない。
何かの行動をするときに、上手くやろうとする必要もないだろう。
無為の行為には人生のありのままを受け入れることだ。
人生など季節と同じで、冬の凍った大地に大根の種を蒔いても芽はならないのと同じで、人生には季節の移り変わりと同じように巡り合せという奇遇なようで偶然はないし、私達は神様という偉大な力の大河の一滴の為のお使いの為にこの世に身体を借りて生きている。豊かな偉大な神様の力。
だから、何も焦ることはないだろう。
森羅万象の背後にいる霊たちの存在を理解するだけだ。
行動するベストな時期がそれぞれにはある。
もしも、いつ行動していいか分からないときは、行動を控えることだ。
現世で行動する機会に恵まれないと嘆く必要もないだろう。
それは、あなたは永遠の魂の存在だからだ。
静かに待てば良いだけだ。
自由に自分がこの世でこなす成長のための課題をやり遂げることだ。
そうすることで、宇宙からあなたのところへ自然な形で贈り物が届くはずだ。
生活の中で上手く行かないときは、時期でないと諦めることを学ぶことで沈黙から学ぶこころの豊かさを体験するだろう。
何かを犠牲にして何かを求めても、それを手に入れたときに、それに注いだエネルギーに見合うモノで無かったと気づくことがあり、がっかりすることは誰にでもあるだろう。それは物質的なモノのをえることで誰かに自慢したいが為に必死になって得た物だから、重荷になるモノをひとつ、一つ、副いで行くことで『無為』の意味が分かるかも知れない。
だから、もう一度、考えて欲しい。
物事が上手く行かず、どうすることも出来ないときは、一度、冷静に立ち止まって見てください。
ちょっと待ってみて下さい。あなたの奥深いところにある何かのせいかもしれません。あなたが欲しいと思ったモノは、本当に必要としているものか?
大きな責任などで何かを犠牲にしてまでも、手に入れる必要があるのだろうか?
もしかすると、それを手に入れる為に、大きなモノを失うかも知れない?と内なる自分に聞いてみることです。
本当に必要であれば、内なる自己が進めと色々な場所でスムーズに行くメッセージを送ってくれるでしょう。
さらに1日という24時間の時間があれば、何もせず、テレビ、ラジオ、音楽も見ず、誰とも話さず、自己のメッセージに耳を傾ける方が本当の意味での『無為』である。
頭で考えずに、静かに過ごすことで『無心』から『無為』は神様の行動に近いことを体感できることだろう。
読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。

波動とエネルギー

スピリチュアル☆

24.9:278:350:0:0:DSC00038copy:center:1:1:慈悲愛 キリスト:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
最近、久しぶりに描きたいモードに突入したので描き始めたが、なかなか難しい今回は大きなキャンバスにど〜んと絵を描いているが全然進まない・・・。どうしてよ〜! (>−<)と思ってしまう!
仲良しの友達でピアニストの彼女が音楽を作り、私がそのCDカバーを担当するという話があり、彼女も1年以上経つが「2曲作ったからねぇ〜!」と言った切りで全然進まない様子だ!
私も気合を入れて描いていなかったので同じだ。
周りは凄いピアニスト達がいる。ここで仲良くしているピアニストさんも印税が凄いらしい、今年のユーロビジョンの何とかでマルタ島に出かけたり、ドイツに行ったり、メキシコにも行っていた。
儲ける気がないピアニスト兼コンポーザーで面白い!不思議なほどネコの話で盛り上がるキプロスである。
仲良しの友達もオーストラリアの映画で有名になった「シャイン」(ピアノの天才少年と呼ばれ、一度は精神を病みながら、ハンディキャップを越えて復帰した実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴッドの半生を基に描く感動の音楽ドラマ。)のDAVIDと一緒にピアノをひいたというほどの実力者である。
7.8:115:108:0:0:D111093569:center:1:1:お暇があったら見てね〜!:
私はピアノはひけない、ねこふんじゃたぐらいとドレミの歌とかぐらいだ。でも、音楽仲間は多いのが不思議だ!それも凄すぎるほどの腕前だから胸に響く。
キプロス人のピアニストの女神アフロディテの曲は最高に素晴らしい!聴いた人にしか分からないが感動してしまった!
いちおDVDとCDをプレゼントして貰った。話によると好きな人にしかあげないというので、いちを好かれているらしい。(良かった)
友達との合作は私も彼女も気分屋というか、これを作らなきゃ!いけないというほどに至っていないのが難点かもしれない。
いつか出来たら・・・。どこかで公開する予定ですが・・・。
どうなることやら・・・。^_^
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
今日はこの軽いノリで書いちゃいましょう!
日常生活で出会う人とのご縁は前世繋がりでのカルマの清算もありますが、仲良くなる人とのご縁は「類は友をよぶ」という言葉があるように、自分では気が付かないだけで、外野から見ると意外と似たりよったりのオーラだったり、波動だったりします。
音楽好きな人とサッカー好きな人では話しが盛り上がりません。
ネコが好きな人とへびが好きな人も話しが盛り上がりません。
楽しい波動仲間を探すのは意外と簡単です。趣味や好きなことを通じて出会う人たちはソウルメイトと呼ばれる魂の友達だったりします。何時間話してもまだまだ話が尽きない話が出来る人がいれば、その人とはソウルメイトですから、会った瞬間に懐かしさを感じることもあるでしょう。
ソウルメイト以外でも日本に生まれたが、アフリカに行って懐かしさを感じたりする際はデジャブと言われる現象だったりします。
表面的には似ていない同士も波動や波長で繋がっていることが多いでしょう。
でも、このソウルメイトが集まった仲間グループでも仲間割れが生じることもある。
特にスピリチュアルな話などはシンプルなスピリチュアルの話なのか、それとも研究として集まるかによってはいくら波長が合うからと集めても人が増えず、減って行くこともある。
私の知人はそのスピリチュアルの会らしいモノを発足したが、集まる人たち同士で仲間割れしてしまった。人数として一桁だったがそのことで頻繁に電話が掛かって来た時期があった。
私が直接教えているわけでないので、どんな形で何の為に集めているのか理解し難いときもあった。
スタートのときは彼女なりにスピリチュアルという流行の言葉に釣られて参加する人もいた様子だったが、本当のスピリチュアルを教える為の時期でなかったかも知れない。
集まる人たちは本当にスピリチュアルに興味があったのかどうか定かでなかった。
お茶のみ友達が欲しかったので参加していたのかもしれない。
何かのミーティングの時に小さなグループでさえも誘導する人が上手くないとただのしゃべり場みたいな場所に変化することもあるだろう。
もちろん、しゃべり場でも良いのだが、本当にスピリチュアルを学びたいのに、グループの中で権力(エゴ)の話になってしまっては面白くもないから、次に参加するのはやめたくなるだろう。
その知人も先生みたいに人を誘導出来ず、そうかっと言って、みんなで話すディスカションみたいなやり方をすると決まって我が強い人が小さなグループのうちに数人はいると「私が」という人の話になり、誰もその人に質問していないのに凄いグルのような話になり右も左も分からないがスピリチュアルな話に興味があるがシャイな人だと2時間、3時間と永遠に終わりのない我の強い人の自慢話を聞くことになる。そして、自宅に付いて「あ〜!疲れた!」ということになる。
その後、お誘いが来ても「忙しいから・・・」と返答してしまいたくなるだろう。
スピリチュアルもボタンを掛け間違えるとカルト教の一種になってしまう。
だから、救われたい人がスピリチュアルの会から宗教の信者のようになってしまうことになりかねない。特に男性が立ち上げるこの手の会は「権力」「地位」「名誉」と変化してしまうこともある。
話は動物の例になるが、人間はサルの進化だからサルのグループに似ているかもしれない。
サルは権力のある方につきたがる。
小さなグループの中で「あの人が嫌いだ!」「ちょっと合わない!」となる人物が2人以上いると参加したくなくなる。
いくら同じような趣味の集まりでも、同じスピリチュアルを学ぶ会と題しても、2回ぐらい参加すると分かるが、あの会の主催者は好きだが、あそこに行くと我の強い人が2人ほどいるので気が滅入るから止めておこうとなる時がある。
話しは戻るが、その知人は結局数回でスピリチュアルの会を断念した。
私から見るといくら彼女が素晴らしい教えをしようと思ってもその我が強い人達がその会を陣取っては私も行きたくないなぁ〜!と話を聞いていて思った。
彼女はまだ諦めないと言っていた。彼女には目標がある。
スピリチュアル的な目標ほど出会う人によって大きく左右されるだろう。
いつもマイナスなことばかり考えていると気づくとマイナス思考の人間ばかりで不平不満ばかりを耳にすることになる。
そうなるとその不平不満がどっと「邪気」として蓄積される。
この邪気が見えないエネルギーとして蓄積されると病気になったり、悪い出来事を引き寄せる。
人間は悩む動物だから、考えるとマイナス思考に陥りやすい。
病気になったり、悪い出来事を引き寄せないために「心の浄化」により、マイナス思考を半減出来る。
どうすればいいのか?
とっても実は簡単なんです。「深呼吸」をするだけで良いのです。江戸時代の終わりに「丹田呼吸」という言葉を広めた白隠和尚さんがいました。
その後、大正時代になると呼吸法と言えば、「丹田」というほど一時ブームになっていた様子です。
イエス・キリストの場合は呼吸プラスイメージ法を弟子の12人に教えています。(私も修行中 ヒ・ミ・ツ)
どうして昔からこの呼吸が良かったのでしょうか?
呼吸を深くすると心の安らぎに導かれます。
プラス思考の人やスポーツ選手などもここ一番という緊張するときは深呼吸することで自分らしくいれます。
カバラでは1日に7回深呼吸することを薦めています。そして「自分はできるんだ!」と自分に言い聞かせて明るく進むこと、正しい姿勢や深呼吸や笑顔を忘れないことで幸運を引き寄せる一番の基本条件だそうです。
1日3回ほどのシンプルな深呼吸で良いです。
少しスピリチュアルに興味を持ち始めた人でも、時間がなくて〜と言っている人でも深呼吸をちょっとするだけで考え方や波動がプラスになるならやらないでいられませんね。 (^−^)
是非、神秘性のある呼吸を毎日、3回しましょう!
今度は「プチ・深呼吸」も続編として更新します。
お楽しみに! えっ! 期待していない! ← 自己ツッコミ!!!
でも、ちょっと期待しているでしょう! (^_^)V
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。

あなたにも霊を救える力が備わっている ♪

29.6:350:263:0:0:DSC00236:center:1:1:キプロスのお庭はハーブで一杯 ♪:
こんにちは!
いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
今日はこちらは「メイ・ディ」でお休みです!
今年も夏が来ました!しかし、急に暑くなったり寒くなったりです。地中海気候で湿気が少ないので28度で日陰ですと案外涼しいのですが、この異常気象でインドも5月で45度だそうですから、7月、8月はどうなることか?
ここも砂漠と同じぐらい夏は暑くなっています。
もっと涼しいと住む前は思っていたのですが・・・、この夏はさらに暑くなるという気象庁からのお知らせです。
この国の8月にはキプロス人は3割ほどしか働いていません。
まぁ〜!人口80万(ギリシャ側は60万人)の四国の半分の国
に60万人は多いのか少ないのか?少ないかな?
熱射病にならない為にも夏は12時から2時ごろは外を歩かない様
にとテレビのニュースで放送するぐらいですから、暑いですよ!
暑いのが好きな私でも、この国の夏の暑さにはめまいがしますが
ドバイやエジプトの暑さに比べるとそうでもないかも?
暑い時期は涼しいところに行きたいものですが、ダウンアンダーは遠いので、チュニジアとかアフリカも行ってみたいという旦那ですが、色白だった私もここに来てからは地中海でプカプカしないと夏は無理です!去年は温泉みたいにその地中海の海になんと5時間も浸かっていたためにすごいことになってしまって後悔してしまいましたが、浸かっている間は忘れてしまうのですよ〜!
あ〜!極楽!と5時間もプカプカした後に、体が痛い!赤い!どうしたら良いの?状態でした。
今年もなんだかやりそうですけどね! ^_^
たまにはくだらないお話もご愛嬌で読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ここからは真面目にスピリチュアルです!
皆さんがこの現世で一番悩む種は人間関係でしょうか、それとも地位やお金でしょうか。
皆さんは「礼を尽くす」という言葉をご存知でしょうか。
ここ最近では「礼を尽くす」という言葉は死語になっているのかと思うときがあります。それは、人としてこの世を生きている以上、たとえ目に見えないものであったとしても、感謝の心でお返しすることが出来るはずです。
自分が困ったときや、辛いときに、身近な人、見ず知らずの人に優しくされて何かをして貰ったそのときは、助けてくれたという感謝の心があっても時間が過ぎてしまえば、忘れてしまう人の方が多いでしょう。
忘れているとまで行かなくても、感謝する気持ちが薄れて行くものでしょう。
人によってはプライドが邪魔をして、素直に「ありがとうございます」と言えない人もいるでしょう。または、自分を助けてくれたこの人に、いつかこの方が困っていたら、助けてあげようと思う人もいるでしょう。
でも、その時に感謝しないと次の機会を待っていても、その機会が巡って来ないこともあるでしょう。
もしも、その人に助けて貰ったのであれば、こころのこもった「ありがとうございます」と感謝する気持ちを表現する必要があるでしょう。
心霊の世界でも同じです。
霊媒体質の人であれば、どこかに行っては霊を拾ってきたり、取り憑かれた?という話は心霊に興味のある人なら、耳にしたことがあるでしょう。
この世でうろうろしている霊さんたちはあの世の道を失っている魂さん達だったり、欲深い人でまだこの世で身体が無いが生きていると思っている魂さんもいます。
未浄化霊さんたちは、感じる、見える、聞こえるという霊媒体質の人のところに集まって来ては、視得る人に優しくして貰いたいと願う霊さん達だったりします。
もしも、人間で迷子の子でしたら、「どうしたの?」「どこから来たの?」「お名前は?」と尋ねて、その後、一緒にお家に連れて帰ることが出来ますが、未浄化霊さんたちの中でズルイ魂さんに憑かれてしまっては、ご自身に危険がさらされることもありますので、どこからどこまでやってあげれるか、ご自身の体調と精神力と共に境界線が必要なときもあるでしょう。
生きている人でも自己中心的な人間がいるように、この世をさ迷っている霊さんでも、ずるい霊さんもうようよいます。
この手の霊さんは生きているときから、欲を一杯残した意識でいますから、あれもこれもして欲しいと願う我侭な未浄化霊さんだったりします。
でも、そんな霊さんでも、助けて貰いたいと願っている霊さんもいます。
どこまで、あなたがその要求に対してやってあげれるか、考えてからやってさしあげることも出来ます。
強い想念は頼ってきた体のない魂さんも救われます。
多少の覚悟は必要です。
私も何かのご縁で頼られてきた未浄化霊さんには般若心経とロウソクの火、お線香とグラスに水一杯をあげることを誰かに教わったわけではありませんが、10代のごろからして来ています。
上がる意思がある霊さんたちはあがるでしょう。
でも、この世での未練がある霊さんはあの世での修行がしたくない方達もいます。
そんなときは、今日、今晩中に上にあげようとしない方が良いでしょう。
その霊さんにも時期があるでしょうし、その時まで気長に待ってあげるしかないでしょう。
これは盆栽に似ているかも知れません。どうして?盆栽か?昨日丁度、盆栽の話を旦那としていたのですが、盆栽が形になるまでに40年掛かるかも知れないし、それ以上の年月が掛かるときがあります。
ですから、盆栽を手がけていた人の方が形に出来ないままでこの世を去る可能性もありますが、その盆栽を他の人に手がけて貰うことも出来るでしょう。
霊界もそれに似ていて、自分だけがこの霊を導くことが出来ると思わず、ここまでやってあげたがこれ以上は出来ません。という形で、良いと思います。
なんの縁もないようで実はご縁がある霊さんに対しても、心と行動と共に『成仏』して下さいと念じるだけでも良いのです。
霊が見えた、感じた、聞こえるという人は見えない世界の霊さん達をお助けする必要がある使命かも知れないのです。
そんな面倒だし、危険をおかしてまで、やりたくないという人もいるでしょう。
やりたくない人であれば、完全に霊を無視してしまえば霊は視えていると分かりませんから、瞬間移動して違う人のところに行くだけです。
でも、あなたが身体のない魂さんにも優しい心を持って接することで、あなたの陰徳は積まれます。
この世で生きているあいだは、人間が人間を助けるのは当たり前。
もしも、あなたが霊媒体質で少しでも人(魂)も助けたいと願う心があるならば、体を失った迷子の魂さんにも手を合わせて下さい。
目に見えない形で宇宙貯金が出来ているでしょうし、もっと幸せになることが出来るはずです。
でも、自分の身体まで乗っ取られるまではしなくて良いでしょうし、すべての要求を聞いてあげる必要もありません。
あなたも幸せ、迷える魂さんも幸せになれるでしょう。
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